- 寿司職人を目指した、ある若者の話がある。毎日皿洗いや掃除などばかりで、いっこうに寿司を握らせてもらえず、何も教えてもらえないことに嫌気が差し、エプロンをぐるぐる巻きにして一度は店を飛び出した男だ。しかし、彼はやがて現場に戻ってきた。しばらくして大将から「そろそろ寿司を握ってみないか」と声をかけられ、板場に立った時、大将が与えたアドバイスはほんの数点、若者が見ても気づかなかった部分のみであった。だが、彼はその後、見違えるような大物の寿司職人へと成長を遂げた。なぜ、わずかな助言だけで男は大成したのか。答えは明確である。彼は大将や先輩の姿、手さばき、現場の空気を骨の髄まで観察し、「感覚」を自らの中に溜め込んでいたからだ。これこそが、私が提唱する「職人的学習法」の真髄である。学校教育における学習の軸は「暗記」と「理解」である。これらが得意な者は試験で高得点を取るが、ビジネスの現場においてはそれだけでは何の意味もなさない。現場で使えない知識はただの無用物であり、いわゆる「頭でっかち」に過ぎないのだ。当社のなかで仕事ができるようになったと評価される社員には、全員が口を揃えて「人の仕事を見て覚えた」「手本を見た」と言う明確な共通点がある。知識を頭に入れることと、それを現場で使えるようになることの間には巨大な溝が存在し、その溝を埋めるものこそが「感覚」である。本質的な能力の構造とは、「感覚」という太い柱を中心に据え、その両脇を「暗記」と「理解」で補強するという形を取らねばならない。中心の「感覚」が育っていなければ、両脇の知識がいくら強固でも使い物にならないのだ。当社が扱う保険や金融商品、多様な働き方の習得においてもこの原則は完全に一致する。マニュアルを暗記・理解するだけでは実務力は身につかない。優れた先輩の手本を見、盗み、実践を通じて己の「感覚」へ落とし込み、その上で暗記や理解と調和させていくプロセスこそがプロへの最短ルートである。だからこそ、当社は採用や評価において、経験の有無、年齢、性別、学歴といったものは参考情報に過ぎず、最重要項目とはみなさない。我々が最も重視する大きな基準が、「職人的な学習法ができるかどうか」である。人の仕事から手本を見出し、自らの感覚を研ぎ澄ませ、知識を実践力へと変換できる人間こそが、これからの時代に真に活躍するプロフェッショナルであると断言する。(10/10)
- 人手不足が引き起こす最も恐ろしい惨事は、単なる人員不足そのものではなく「組織の役割の決定的な歪み」である。現在我が社では、社歴の浅い若いスタッフが担うべき基礎業務の穴埋めに、本来未来を拓くべきベテラン社員が追われるという極めて深刻な逆転現象が発生している。かつて後輩や部下に引き継いで卒業したはずの業務を、長年離れていたベテランが改めて勉強し直して処理し、彼らにしかできない高度な判断や将来の仕込みが放置されたまま日々の雑務に埋もれていく。これは例えるなら、広大な土地を耕すための大型ブルドーザーでただのドライブを楽しんでいるようなものであり、組織における圧倒的な能力の無駄遣いにほかならない。本来私たちが最も多くの時間を投資すべきは「第2領域(緊急ではないが重要な業務)」である。しかし現実には、社内外からの無用な割り込みや目の前の「第1領域(緊急かつ重要)」の火消し、そして利益を一切産まない「第3領域」の雑務に明け暮れ、売上や利益を生み出す本質的な時間が激しく削られている。私自身はこの異常な悪循環の構造に強く抵抗し、意識的に第2領域を重視しようと試みてきた。しかし、私が踏みとどまればその分だけ現場の他の優秀なベテランメンバーが第1領域の火消しに忙殺され、一人また一人と疲弊していく。かといって社長である私が現場の穴埋めに飛び込むのも決定的な間違いだ。私が成すべきは単なる現場の火消しではなく「この問題を至急解決する持続可能な仕組みを作る」という、第1領域と第2領域の境界線上にある構造改革にほかならない。有能なベテラン社員を絶対に疲弊させず、全員が本来持つ卓越した能力で売上と利益を爆発的に叩き出せる環境を取り戻すことこそが、社長である私の絶対的な責務だ。私自身が持つ稼ぐ能力をフルに発揮する機会が奪われている現状には強い焦りを覚えるが、この負の連鎖は今日限りで完全に断ち切ることを約束する。無駄な雑務の徹底削ぎ落とし、ベテランによる穴埋め作業の即座禁止、そして構造改革の超高速推進により、全員が本来持つ最大火力で業務に挑み、正当な成果を叩き出す強靭な組織へと即刻脱皮する。(10/7)
- 失敗の連続と、わずかな成功。その繰り返しの中で、私は会社と人間というものの本質を少しだけ掴み取ることができた。便利さは、人を容易に退化させる。AIの登場によって、人は思考する負担から解放された。しかしそれは、自らの頭を使わなくなったということと同義だ。自動車に乗れば歩かなくなり、足腰が衰えるのと同じ原理である。楽な道を選び、重力に逆らうことをやめれば、人間の能力は確実に退化していく。かくいう私自身も例外ではない。スタッフを頼り、業務を任せる中で、かつて自分自身が発揮していた個人の能力は明らかに低下した。今さら昔と同じように立ち回ることなどできない。では、これは単なる衰退なのか。答えは「否」である。「人に任せる勇気」を持ったこと。これは、経営者としての確実な「進化」だ。人は何かを手放すことでしか、新たな能力を獲得できない。人間とは常に、どこかが退化し、どこかが進化している生き物なのだ。そしてこの進化は、我々に二つの大きな武器をもたらす。一つは、「相互依存」という真の強さだ。何でも一人で完結できる自立した個人は一見強く見えるが、所詮は個人の限界を超えられない。真に強い組織とは、己の退化した部分や弱さを互いにさらし出し、補い合うことで、個人では到底到達できない高みを目指す組織だ。私がスタッフに任せ、頼るようになったのは、この強固な相互依存のネットワークを築くための必然的なプロセスだった。もう一つは、「今よりも高い、別の力」を発揮することだ。AIなどの便利なものが、我々のこれまでの思考や作業を肩代わりし、ある部分を退化させたのは事実だ。だが、それによって生み出された思考の余白や時間は、決して楽をするためにあるのではない。我々は、便利な道具に頼った分だけ、これまで手が回らなかった、より高次元の力を発揮しなければならない。問題は、便利さという変化をどう捉え、どう使うかである。世の中の多くの者にとって、便利さはただの「退化のトリガー」でしかない。楽に流され、自らを弱体化させるだけで終わる。自らが今、楽に流されてただ退化しているのか。それとも、他者との強固な相互依存を手に入れ、便利さが生んだ余力を使って「今よりも高い別の力」を発揮しようとしているのか。この境目を冷徹に自覚し、意識し続けること。それこそが、低迷と迷走の時代において決して迷子にならず、組織として高みへ挑み続けるための決定的な条件である。(10/3)
