社長のコラム(2018年4月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 高層ビルから見下ろす街の景色は広く浅く視野に入り全体像を掴める代わりに、道を歩きながら見えていたはずの細かやかなものは見える事はない。走りながら見る景色は短い時間に沢山の景色を見る事が出来たようだが歩きながら見る景色よりも省略されてしまう。このような距離やスピードによる差だったりするものとは限らず、フォーカースによるものだってある。私たちは同時に2箇所以上のものに焦点を合わせる事は出来ない為に、近くを見ようとすると遠くはぼやけるし、その反対も同様。同じ方向を見ている様でも焦点が異なっている事もある。更に、方向と焦点が同じであっても、意識の違いによって写り方は異なる。これまで何度も歩いた道であり見たことがある景色のはずなのに、初めてその存在に気付く事もある。運転代行業者の方に私の自動車を運転してもらった時に助手席から見る景色はいつもと違っていた。単に座る位置が異なるだけでなく、運転する為の必要情報が必要な訳ではないので景色をみる目的や必要性が異なる。こうして、私の目だけでは見逃してしまう量が多すぎる。だから、私には必要な人がいる。(4/28)
- 今年の誕生日はこれまでにない感じだった。会社では社員一同から大きなケーキのプレゼント、ジムでは30人くらいの人達からおめでとうの拍手、母からの電話、これから仲間になる人や知り合いからも声かけてもらったり等…。サプライズをくれた皆さんありがとうございます!こうして色々やってもらっているのに、あまり良いリアクションが取れなかった事を後悔し反省している。勿論お礼を伝えたものの、もっと喜びを表現するべきだった。自分自身のノリの悪さがはずかしい。言い訳になってしまうけれど、最近の私はすぐにキャパオーバーしてしまう。社員からのケーキを頂く時なんか、10分単位で数件の約束があり、マジ顔だった時なので、ぎこちない笑顔状態。せっかくの好意を無にした様な…。本当はすごく嬉しいのに...。実際、私は私を喜ばそうと思ってやってくれた事に感謝している。私も今度は喜ばせる側の人になりたい。こういう好意の連鎖がエンドレスに続いたら良いのにと思う。どんなに好意的に働きかけても相手によっては伝わる事なく、その好意を仇で返してくる。悪意の連鎖に負けそうになっていた私の救いとなった誕生日だった。(4/25)
- 明後日(4/23)は私の誕生日である。おめでたい事ではあるが、歳をとりたくないので喜んでばかりはいられなくて複雑な気持ちになる。人は皆、生まれたその瞬間から死へ向かって生きているとか、人は生まれ方を選べなかったように死に方も選べないとか...。そんな言葉とともについつい残りの人生を想定して引算や割算をはじめてしまう。突然の強制終了だったり、余命宣告をされて残りの人生の過ごし方を決めなければならなかったり、決して意向に沿ってはくれない。残りが少ないのであれば、ラストスパートをしなければと思うけれど...。いつまで続くわからない残りの人生というのは、自分自身の人生だけを指すのではなく、家族、友人、仲間、知人などの人生も含まれる。自分自身は長生き出来たとしても大切な人を先に亡くす事もある。誰かに依存をしているとしたら、その人の死により生きる希望がなくなる可能性がある。それは仕事や趣味への依存という意味でも同じような事が言える。若くて美しくてモテモテの自分、仕事をバリバリやっている自分、人から慕われていた自分、死よりも先にいつかそんな自分でなくなる日が来る。その後の人生の生き方とは?(4/21)
- 今回のコラムでは、私のフィットネスクラブ入会からこれまでを時系列に振り返る事にした。2006年9月2日に佐世保市にあるフィットネスクラブが新規オープンすると同時にダイエットの為にも通い始める。毎日20分程度、筋トレしたり走ったり程度で15kg近くのダイエットに成功。それから4年4ヶ月が経過した2011年1月13日、足の先ですら入った事がない禁断の領域と感じていたスタジオへ踏み込む。この日、私は(格闘技をベースとした有酸素運動プログラムである)ボディコンバットと出会った。それから5ヶ月経過した2011年6月28日、福岡市にあるフィットネスクラブにも入会して、それ以来、二股をかけている。今ではボディコンバットと筋トレ以外はほとんど何もやっていない。ボディコンバットは辛い時や悲しい時等、いつも、私を支えてくれていたのに、福岡へ行く回数が半分になった事と佐世保市で通っていたフィットネスクラブでボディコンバットが縮小された事により週4回から週2回へ減少し体重もストレスも増加。しかし、3月に佐世保市に新たにフィットネスクラブがオープンしたおかげで週3~4回程へ。救世主に救われた様な...。(4/18)
- ローマ帝国の滅亡は「雇われ根性」と化した傭兵の出現からはじまったらしい。傭兵とは金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵隊さんの事。ローマでは当初は市民権を有する者が自発的に軍に参加する市民兵が主力であったが、やがて市民兵制は衰退し、傭兵に頼る割合が増加していったらしい。心から国ために戦ってくれる勇敢な戦士が必要なのに...。しかし、それは仕方がない事だろう。私が国王だったとしても傭兵だらけになっただろう。自発的に軍に参加する市民兵は数少ないはずであり大軍を作るなら傭兵なのか徴兵なのか...。これをそっくりそのまま企業に置き換えて見るとどうだろう?そのほとんどが傭兵であるに違いない。生きていく為には給与が必要なのだから仕方ない。だから、それは諦めるしかないけれど、社員は雇われ根性ではなく自発的に軍に参加した市民兵の気持ちを持つことは出来そう。こんな気持ちで働く事は、企業側にとってだけなく、社員にとっても幸せなんだと思う。そして、顧客にとっても...。会社、社員、顧客は立場が異なるけれど、お互いの関係に線を引きすぎない様にしたい。(4/14)
- 免疫は外部から体内に侵入してくる細菌やウイルスなどの異物を撃退するものだが、この免疫が過剰に反応しすぎて無害の物質までもを排除しようとする。これをアレルギー反応という。それによってアレルギー症状が引き起こされる。私の場合、花粉症で目が痒くなったり、鼻水、咳と苦しんでいる。幸いなことに食物アレルギーはないのが救い。身体に良い食物までも「悪」と判断してしまうなんて…。まさに人間関係でいうと誰が敵なのか見方なのかの判断が出来なくなっている状態。裏切られたり騙されたりし続けると人を信用出来なくなる。それこそがアレルギー症状である。「もう誰も信じない」なんてテレビドラマにありそうな…。人の中では裏切り者こそがウイルスであり、特に自分を信じてくれる人を騙す事により騙された側にアレルギー症状が発生する。ウイルス人間は可哀想な自分を演出する事で同情をかう等して、組織や一定の人物への不満を誰かと共有する技を持っている。このウイルスに侵されると良い組織や人物を見る目がゆがみ悪く見えてくる。ウイルスに侵された人の中でそれを自覚出来る人が何人いるのだろうか?真実を知るべし...。(4/11)
- 「笑う門に福来る」はとても良いことわざだと思う。笑うことはストレス解消にも免疫力向上にも良いとされているし実際気分が上がる。最近の私は、深夜に録画したお笑い番組を見る事が増えてきた。一日の笑い不足をここで補充している感じ...。喜怒哀楽のバランス調整って必要なのではないだろうかと思っているので補充するのは他の感情も同じ。悲しんだり怒ったりする事は少ない方がよいけれど、もしも「ゼロ」だったとしたらどうなるだろう?あまり良い事とは思えない。笑い多めくらいが丁度良さそうだ。だから笑いが多くなりすぎたら、涙を流せる映画やテレビドラマ等を見てバランスをとったりするのだ。いずれにせよ感情を使わずにいるとその部分が退化していくのではないかと思う。また、他の側面から見ると「笑う門には禍来る」とも言える。笑いにはリスクがある。笑顔でいると精神的に余裕があると判断される等して気を使ってもらえなくなる。笑顔同士だと最高だけど笑顔は真顔にものすごく弱い。だから、笑顔には勇気が必要だし相手を信じる気持ちを持たなければならない。ちなみに私は感情豊な人、特に笑顔が素敵な人が好きだ。(4/7)
- 今回は3月22日のコラムでの予告通り続きを書く事にした。この日、私は久々の休みでありこれまで私が選んだことが無い色合いのスーツを購入した。その経緯であるが、まず私はこのお店で商品を選ぶのではなく店員さんを選び私の希望にあった商品を案内して欲しいと伝えた。具体的な希望と言うのはスニーカーに合わせやすくて私服を着るチャンスがあまりない私の気分を上げてくれるスーツ…。店員さんは店内にあるいくつか商品をザーッと説明した後に、このスーツを紹介された。私は最初この商品を見て納得しなかった。それでも店員さんは私にこのスーツを一押しされ、店側の儲けだけを考えて私はいいカモにされているのではないかと感じ疑う気持ちが強くなり決断出来なかった。しかし、私は今このスーツを購入してこうして着ている。そして、このスーツを着ると気分が上がるし体が軽く感じる。自分自身で選ばずに人に選んでもらう方が良い事もあるのかもしれないと思っている。自分自身の経験や知識を元に購入するのではなく、私を見て、私の希望を聞いて、プロが選ぶとこうなるのだ!ちなみに弊社は保険のセレクトショップ...。(4/4)
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