社長のコラム(2026年2月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 本物と偽物の見分けがつかない。1月にもその様なコラムを書いたばかりだが、誰を信じたらよいのか?何を信じたらよいのか?疑心暗鬼になってくる。その内、私自身が偽物ではないだろうかとまで思ってくる。私は本当に善人なのだろうか?私を信じたらハッピーですと言いたいところだが自信を失ってくる。社長業をやっている私がそんな弱音をコラムに書くことは恥ずかしいことだが、ネガポジ変換させることがこのコラムのひとつのパターンなので、一旦はネガティブに考えてみることにする。とことん自分を落としまくった後、そこからはいあがるかの様に考えてみると、100%の善人でも有能でもない私の役割は、それよりも、ずーっと遥かに悪人だったり無能だったりする多数派の人から、あなたを救出すること。あなたの内側にある天使と悪魔、あなたの外側にある天使と悪魔の4者がそれぞれ戦っていて、私はあなたの内側にある天使に仕事を依頼されて、内外にある悪魔からあなたの天使を救出している。私があなたの外側にある天使であるためには、悪魔にとっての悪魔という存在であって、悪魔にとって嫌な存在なので受け入れられない。その悪魔が強すぎる場合、私はかなりのエネルギーを使って悪魔を成敗しなければならず、負けることも多々ある。苦戦しながらでも勝った時は心から感謝される。私がこれまで保険相談をする中でハッキリしているのは、外側にある悪魔が蔓延っているということ。信じがたいが悪魔だらけだ!詐欺だとか不適切な保険募集行為をしている人はもちろんのこと、法には触れていなくても、私の基準ではありえない保険募集をしている人たちだらけである。特にエセ善人があなたの天使を可哀想な目に合わせていることに気づいて欲しい。あなた自身の内側と外側にあるフェイク(嘘、偽物)から救出して欲しい人は私に相談したらいい。(2/23)
- 終わりは突然やってくる。そういえば、始まりも突然やってきた。この世に誕生し、いつかこの世を去るまでの数十年間、私たちが生きていたことは事実であって、死後も人の記憶の中で生きている。「人は二度死ぬ」ということで、二度目の死は、死後に人の記憶から消えた時を指すらしい。この言葉は叔父が生前、祖父の法要の挨拶で述べたもので私はその記憶が頭から離れない。こうして亡き叔父は私の心にこうして宿っている。そして、叔父が時々私のコラムを見てくれていたことを知っていたので、法要直後、意識的に「人は二度死ぬ」についてコラムに書いた。目立って何かを成し遂げるなど目立った人は「伝記」として末代まで伝えられるが、あくまでも、記されている範囲である。野口英世もキュリー夫人も本の世界の人。私が誰かが生まれて死すまでの全てのストーリーに参加することはほぼ不可能で、誰かの人生の一部分でしか関われない。あなたが私に保険相談をしたとして、私はあなた人生の一部しか知ない中で想像を膨らませながら答えを見つけ出そうとする。だからこそ、良いのかもしれない。何もかも知りたいと思う一方、知りたくない思いもある。過去と未来ばかりを想像して、今を楽しめない。私たちは現在進行形で今を生きていく方が幸せだと思う。それなのに、私たち人は前後を気にして落ち着かない。特に私はライフプランに関わる仕事しているので、あなたの年表を描いてしまう癖がある。そして、私はあなたの年表の過去の一部しか知らず、未来を知ることも出来ないかもしれないが達者でいて欲しい。いつも私が人のことを考えて生きている訳ではなく自己中でもあるけれど、根底にはそういう思いを持っている。(2/18)
- 朝、起きて衝撃的だったはずの夢すらも忘れてしまう。自動車を運転している時、シャワーを浴びている時など、メモがとれない時に限って、良いアイデアを思いついたのに、きれいさっぱり忘れてしまう。人と話をしていて、今、話していた大切なことを忘れてしまって、さらに相手も忘れてしまって元に戻れなくなってしまう。数日前にも、メモの準備をしている間に忘れてしまって、悔しいので『思いついたことをメモしようと準備している間に忘れてしまう。もう二度と思いつかない何かを忘れてしまう悔しさ。チャンス、タイミングは1度逃したら二度と巡ってこない』とメモをした。今日のコラムの題材づくりにはなっただけでも収穫があった分、救いだった。私はコラムのネタだったり、経営のヒントになることや、悩んでいたことの解決の糸口になること等、瞬間的に私の頭が賢くなる瞬間がある。普段は以前よりも馬鹿になったのではないかと思うほどボーッとしているのだが、突然、ウルトラマンの3分間タイマーより、ずーっとも短い瞬間だけ天才になる。その瞬間が予測なくやってくるので悩ましい。「タラレバ」ではあるが、もしも、これまでのその瞬間の能力開花した時のアイデアなどを全て書き留めることが出来ていたら、私は今頃、もっと素晴らしく出来る人になっていたに違いない。少しでも漏らさないために、とりあえずは、いつも手元にメモ出来る準備をしておく。(2/13)
- 恥ずかしながら当社にたくさんの足りないものがある。逆に、当社にある当たり前のものが他社にはない。そして、他にない当社にとっての当たり前が、何よりも大切なことであることを私は知っている。それが何なのかを伝えたいけど上手く伝えきれない。長々と述べてもイマイチ伝わらず不発に終わることが多い。当社のホームページをご覧いただいても伝わらない。ここ数年間、全く広告を出すことがなくなったのは、他社と似たり寄ったり内容の広告になってしまい埋まってしまうからである。このままだと顧客も社員も離れていくし、新しく当社を選んでくれる人がいなくなる。一体どうして、伝わらないのか?共感されないのか?私は、当社設立25年を経過した中で、最も、ここに着眼した。原因を探求するうちに、「迷ったときには上流へ!」ということで、そもそも論で、私自身が当社のど真ん中を十分に理解できていないのかもしれないとまでも疑ってみた。私はそこからやり直す必要があるのかもしれなくて、春頃までには、整理しながら、当社の何が他にないのかを理解してもらいやすい様に、言語化していく計画である。目標は、全員に伝わることとは言わない。せめて、少しでも多くの人に深く強く伝わって、当社でなければならないと実感してくれる人が増えて、そこからじわじわと拡大していけたら満足だ。何度も繰り返すが、他にない当社にとっての当たり前こそが、顧客にとっても社員にとっても、会社選びでは外せない大切なことであることは間違いない。そこに、気づいて当社を選んでくれた人は本当にハッピー。私が一番ハッピー。(2/10)
- 「もしも、私が〇〇だったら」と私が誰かになったつもりで何をするかしないかをなりきって述べることが多い。これまでにも政治家、社長、アーティスト、資産家など色々な人になりきってきた。そして、多くの場合は、私の方が圧倒的に優れている。こういう私が最もなりきれないのが私自身なのかもしれない。私が私になりきれない。逆に誰かが私になりきると私よりも圧倒的に優れているのかもしれない。ブランディング会社は他社をブランディングすることが出来ても自社をブランディングすることが難しいので同業他社にブランディングして欲しいと思うことがあると聞いたことがある。実際に私は当社が何者なのかわからなくなっている。ゴミ屋敷のように散らかっている状態にあるので他者に伝えにくい。私自身がわかっているけど伝えきれないだけなのか?それ以前に私自身がわかっていないのか?それすらもわからなくなっていく。何もわからないという意味ではなく、中心核から離れた部分を当社らしさと考えている可能性があり、更に、他者はそれ以上に当社らしさの中心核からかけ離れていることがわかる。当社は社内外から誤解されている。ひょっとしたら私からも誤解されているのかもしれない。そこで、私は自社のブランディングをいま一度やってみることにした。まずは、AIを使って壁打ちからはじめてみることで、少し前進したが、まだ核心に迫れてない。ブランディングのプロに手伝ってもらうべきなのかもしれない。ブランディング会社とは言ってもたくさんあってどこの誰にお願いすべきか簡単じゃない。わかるのは、保険相談でいう当社のようなブランディング会社に仕事を依頼したいということだけ。(2/4)
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