社長のコラム(2021年2月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 簡単で誰にでも出来る仕事であれば、社歴が浅くても一通りの仕事は出来るだろう。単純作業に近ければ近い程、すぐにその仕事をこなす事が出来る。この様な仕事であれば、数ヶ月の短期間であっても能力を発揮してもらえるので会社としての損失が少ないが、複雑で難しい仕事では長期で勤務していただけなければ損失する。弊社で言うならば入社して3ヶ月は研修の様なもので、6ヶ月でも他のスタッフに依存する面が多く、場合によっては他のスタッフが自分でやった方が早いという期間。それを過ぎてやっと少しづつプラスになってくる。最初のマイナス部分を考えると少なくとも数年以上は勤務していただきたい。役割次第では入社して2年3年までは赤字でそれを過ぎて黒字というものもある。勿論、それ以上に長期の修行期間が必要なものもある。今の日本の様に転職を繰り返していてはプロフェッショナルの存在が少なくなり、レベルが高いサービス提供が出来なくなる。同じ業種内で転職したとしても、その会社が他の同業他社と真逆と言っても良い会社であれば、その経験は邪魔になる。当社はホカニアルではなくホカニナイ株式会社だからな!(2/27)
- 覚悟を決めるしかない!それによってこれまでに作り上げたものを壊してしまうかもしれないのに!傍目に見ると現状に不便がなくこの状態を延命させた方が賢明なのかもしれない中で、わざわざリスクを抱えるなんて馬鹿じゃないのかと思われるだろう。ここまでして、その馬鹿な事をやってしまうのは何故だろう?守備疲れかな?現状を維持する為に人生を犠牲にする事に疲れきっているのかもしれない。本当にやりたい事が出来ず、義務(責任)を果たす為に生まれたのだろうかという疑問。前回のコラムで正義と責任はセットであるという話をしたが、代償として何かを差し出さなければならない。それが失いたくないものであればある程、責任の取り方は重大である。そういう大切な何かを失ってまで、やらなければならない事があるのか?今だけの欲求に過ぎないのかどうかも後からでないと解らない。欲求なんて我慢したら良いのではないかと思われるかもしれないが、誤魔化して我慢し続けていたら、どこかで歪みを起こし、結果的に、全てを失いかねない。こうして失ってしまうくらいなら...。(2/26)
- 「正義」の反対は「悪」だと答えたくなるが「愛」が正解である。自分が正しくて相手が間違っているという正義、逆に自分が間違っていて相手が正しいという愛。相手を尊重するには正義よりも愛が強い方が良いという事になる。それを踏まえて私が8年間社員を経験した後、20年以上会社経営を続けている中での教訓がある。その教訓とは「経営者が愛あふれてしまう訳にはいかない。正義の塊であるべし!社員は役職が上がったり社歴が長くなるにつれて部下や後輩に対して会社の正義を貫き、社歴が浅い社員は愛あふれるべし!」という事だ!このバランスを崩してしまうと会社の舵がとれなくなる。社員は理解出来ない事やしたくない事はしなくなる。社長が煉にねった戦略や戦術が実行出来ずに失敗に終わる事になる。何度もそれを繰り返す度に、その内、社長は思考停止する。この様な負のスパイラルに陥る。なんと言っても未熟者の安っぽい正義こそが最大の敵である。正義は責任とセットでなければならない。そうでなければ単なる自分勝手でワガママなだけなので!そして、正義と責任のセットには孤独と不安がもれなくついてくる。(2/20)
- テレビドラマで「知らぬが花」と言ってたのが気になったので早速ググってみたら「何も知らない方が幸せ」という意味で「知らぬが仏」と「言わぬが花」がごちゃ混ぜになったものらしい。同様に「言わぬが仏」も誤用らしく「本当の事を言ったりすれば相手の気分を害するようなときには、あえてそれを伝えないままにしておくのも一つの方法である」という意味。子供の頃に教えられた様に嘘をつかず正直であれという道徳からは逸脱しているが、私たちは、大人になるにつれて嘘も方便である事を覚えた。そうしたくても実際にそう簡単な事ではなく「真実を知りたい」「嘘をつきたくない」という欲求に背く事になるのでストレスが大きい。そこをなんとしてでも我慢!私は気になる人の事を知りたいのにあまり多くを質問しない。それを知ってしまう事で自分自身がショックを受けるかもしれないし、相手もそれを知られる事によってこれまで通りの付き合いが出来なくなるかもしれない。意外と人はお互いに暗黙の了解として、あえてそうしているのかもしれない。そして、いつか真実を知るべきベストなタイミングが来るかもしれない。(2/16)
- 私が嫌いなものをいくつかあげると、タバコ、納豆、冬場の乾燥、ゴキブリ等気持ち悪い虫、マスクなどなど色々ある。当然これらのものとは出来る限り関わりたくない。逆に好きなものもたくさんある。これまで知ることがなかった新たな好きが加わったとき幸せを感じる。美味しいもの発見はきっと誰もが経験する。楽しかったり面白かったり、見惚れてしまう様なカッコ良いものを見つけたり…。「好き」という気持ちを大切にしたい。ワクワクドキドキが無い人生なんて寂しすぎる。長いようで短い人生なのだからこそ「好き」だらけにした方が良い。好きの対象はヒトでもモノでもそれ以外でも構わないがヒトには相手の気持ちというものやその他の壁がある為に単純で簡単ではない。嫌でも生きていく為に避ける事が出来ないものもある。必要とあれば無理して「好き」→「嫌い」、「嫌い」→「好き」に変換して脳を騙す事だってやってのける。相当にストレスを抱える事になるがどうしようもなく仕方なくそうしなければならない時もある。素直に好きなものを好きではいられない現実。(2/13)
- 情熱大陸でとんねるずの石橋貴明さんの言葉が私の心には刺さった。「働き方改革だとかいって、いまはテレビのスタッフも8時間以上働かない。ADから先に帰すみたいな。それは今の社会の流れでしょうがないのかもしれないけれど、ルールなのかもしれないけれど」「人より早くたくさん稼ぎたいっていう人間は、じゃあいつ仕事を覚えるんだって。いまもそうですけど、やんなきゃダメなんですよ。つべこべ言わずやらなきゃダメなんですよ。つべこべ言っているうちは、もうしょうがないです」これに対して強者の論理だとか過重労働だとか言う意見もあるだろうが、偽善ではなく本気で日本国民の事を考えたらその通りだと思う。もっと極めていきたいと修行するつもりで仕事する人が増えるべきだと思う。それをさせないかの様に色々なコンプライアンスが益々増えていくが、誰の何を守ろうとしているのか?本当の意味での弱者を守ろうとしている訳でもない。世間から強者っぽく見られる弱者をいじめている様にさえ見える。未来を守ろうとしている様にも見えない。このツケは近い将来に私たちに大きなダメージを与えるだろう。(2/9)
- 最近、ドラッグストアでケロちゃんとコロちゃんに出逢った。栄養ドリンクの10本入の箱を入れるビニール袋に包まれる様に緑色に光ったケロちゃんがこっちを向いて入っていた。ケロちゃんは赤い洋服を着た可愛い女の子。私は一目惚れして栄養ドリンクが欲しい訳ではなかったが即決して購入。早速、スマホでカッコよく写真撮影した後社長室に飾った。それから数日後、今度は青い洋服をきたコロちゃんを発見!これも早速購入。2匹を並べるとケロちゃんよりもちょっとだけ大きいところが良い。それから数日後、今度は小さなサイズのケロちゃんとコロちゃんを発見。私はまんまと栄養ドリンクのメーカーの罠にかかったのであった。今、4匹は小さな盆栽の側で仲良く並んで立っている。丁度、緑の葉っぱがカエルの頭の上にあって雨宿りしている感じで...。あっ!盆栽は南天で、大難を小難、小難を無難にという願いを込めて数年前から毎朝出社したら何よりも先に水をあげている。あらためて植木だとか小物だとかそういうものによって癒される事があるのだと気付いた。そういえば、弊社には一切花が飾られていない。(2/6)
- どうしてマイカーを運転している時にマスクをしているのだろう?車内には一人しかいないのに!緊急事態宣言で20時に飲食店が閉まるからと20時までソーシャルディスタンスが出来てない中でマスクを外して真向かいの席に座って大声で話をした後、店の外に出る際に誰もいない道を歩くだけなのにマスクをつけるのは何故だろう?そういう人に直接聞いてみたところ人の目が怖いからという理由の人が多かった。マスク警察と呼ばれる人の言動が善意からのものであれば良いが果たしてどうだろう?善意だとしても間違った正義からであっても困るが!感染防止にマスク、アルコール、ソーシャルディスタンス、不要不急以外の外出防止、営業時間短縮、県境を超えない等の対策ばかりでもっと他にも対策方法があるのにどうしてしないのだろう?家庭内感染や保育所や施設での感染が多い中、そこでの対策が疎かに感じるのは私だけ?どうして免疫力を高める為の対策や禁煙やダイエットなどという対策を強化しないのだろう?むしろ、その点では逆行している様だ!どうしてなんだろう?何故なんだろう?(2/4)
バックナンバー
2021年1月2020年12月2020年11月2020年10月2020年9月2020年8月2020年7月2020年6月2020年5月2020年4月2020年3月2020年2月2020年1月2019年12月2019年11月2019年10月2019年9月2019年8月2019年7月2019年6月2019年5月2019年4月2019年3月2019年2月2019年1月2018年12月2018年11月2018年10月2018年9月2018年8月2018年7月2018年6月2018年5月2018年4月2018年3月2006年7月~2018年2月(ほけん工房ページへ移動します) - 覚悟を決めるしかない!それによってこれまでに作り上げたものを壊してしまうかもしれないのに!傍目に見ると現状に不便がなくこの状態を延命させた方が賢明なのかもしれない中で、わざわざリスクを抱えるなんて馬鹿じゃないのかと思われるだろう。ここまでして、その馬鹿な事をやってしまうのは何故だろう?守備疲れかな?現状を維持する為に人生を犠牲にする事に疲れきっているのかもしれない。本当にやりたい事が出来ず、義務(責任)を果たす為に生まれたのだろうかという疑問。前回のコラムで正義と責任はセットであるという話をしたが、代償として何かを差し出さなければならない。それが失いたくないものであればある程、責任の取り方は重大である。そういう大切な何かを失ってまで、やらなければならない事があるのか?今だけの欲求に過ぎないのかどうかも後からでないと解らない。欲求なんて我慢したら良いのではないかと思われるかもしれないが、誤魔化して我慢し続けていたら、どこかで歪みを起こし、結果的に、全てを失いかねない。こうして失ってしまうくらいなら...。(2/26)