社長のコラム(2019年2月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 一月往ぬる二月逃げる三月去る(一月は行く、二月は逃げる、三月は去る)…。正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、調子よくいったものらしい。特に営業の世界では、昔からこんな事言うケースが多い。明日で二月が終わる。私の二月を振り返ると、これまでになく求人活動に資金と労力と時間を使った。私は今回の求人活動を通じて、現実の厳しさを感じるともに、これまで弊社を退職した社員が辞めたくなった理由を想像していた。社員の多くは辞める際に本当の理由を言ってくれないので、こうして想像するしかないのであるが、あまり正直に言われると傷つくのが怖いので言って欲しいかというとためらう。辞めたのは社員の都合などによるものであると言えば、それもそうだが、一旦、全ては会社に問題があると捉えて考えてみる事にした。そこで、あげられる問題点に関して出来る限りの改善を行いながら数年前から手を加えている。初任給、昇給、評価基準、福利厚生、勤務体制の改善など色々...。社員にもよるがその社員の代わりを見つけて育てる事は難易度が高く会社としては致命傷を負いかねない。逸材(人材)は大切しなければ!
(2/27)
- 「人は二度死ぬ」とは、1度目が肉体的な死、2度目が人の記憶から消えてしまう事。これについては以前のコラムでとりあげた事がある。そして、今日のコラムは人ではなく会社バージョン。私が勝手に言ってる「会社は二度死ぬ」とは、1度目は会社の存在価値がなくなったり、人(役員や社員や顧客)がこの会社の価値を認めなくなった時、2度目は実際にその会社がなくなった時をあらわす。1度目の死を迎えない為には、まずは、企業理念やビジョンやミッションや戦略戦術などを経営者がよく知って、それを社員に伝えて、その社員がそれを基に仕事をして顧客に伝える事。顧客がその会社の商品価値を感じてくれたら、会社はイキイキしているだろう。また、そこで働く人についても二度死ぬと言える。1度目は意欲がなくなった時、2度目は実際に辞めた時。しかし、1度目の死から生き返る事もあり、私は何度も生き返ったひとりである。今後も生き返るという保証はないけれど...。前回のコラムでも言う通り、責任感だけでやっていける時間は限られているので、早急に欲求を取り戻す事で、応急処置としては義務化すること。義務化は人を追い詰める副作用があるので注意!(2/23)
- 人類学者ヘレン・フィッシャー博士の著書「愛はなぜ終わるのか」の中で「愛は4年で終わる」と提唱してある通り、永遠の愛を続ける事は簡単ではない。恋は3年で終わるとも言うので、実際には3年更新だと考えておいて丁度良さそう。恋愛感情を持ち続ける事がベストだと思うけれど、恋愛感情がカタチを変えて別に良い意味での感情が芽生えて幸せならそれも良いと思う。責任感でつながっているのも一時的には良いと思うが、長期的というのであれば良いとは思えない。責任感で維持させるには他に支障が出てくるので、早めに欲求との連動を図る必要がある。恋愛感情に関わらず、人の気持ちは変化していく。このコラム自体も同様で10年以上続けている中では、続けて行かなければならない責任感に書きたい欲求が混ざっているからでもある。何も書きたくない日は責任感に下支えされていてからこそ何とか書いているけれど、この責任感というものが欠如していたら、その日から書くのをやめてしまうかもしれない。私は信じている。また、書きたいと思う日がやってくる事を!仕事も学校も部活もそんなものではないだろうか?(2/20)
- 前回のコラムに関連付けた話をしたい。そこで「→自由→権利⇔義務→責任⇔無責任→自由→」という様につなげてみると、自由や権利を手に入れる為には責任や義務が邪魔な存在になりがちだとわかる。社会や組織の中で自分以外の人の自由や権利を守る為には、自分が犠牲となり義務や責任を果たさなければならなくて、人はお互いにバランスを保って生きている。しかし、自由や権利ばかりを求めて義務や責任を果たさないという究極にヤバイ人の分を、誰かが補完しなければならなくなる。それを補完する人は責任感が強い人という事になるが、私が知る限り、責任感がある人は激減している様に思う。こういう時代に、バランスをとるには「強制」するしかなく、法律や規則やルール(マニュアル)などで義務化することになる。前には無かった新たな義務が増え続けている事は誰の目にも一目瞭然だろう。そして、これらの対策は応急処置にしかならない。長い目でみると、義務でなければ何でもありという人ではなく責任感がある人だらけにしていくを積極的にすすめていくべし。出来れば責任を持ちたいという欲求までたどり着けたら幸せ。 (2/16)
- 4人で担ぐ御輿(みこし)を1人でも手から離したらどうなる?残りの3人が今までどおり担いでいたら当然落としてしまう。そして、こんな時に限って手を離す人がいる。こういう人は責任の量が増える事が予測出来ると逃げるタイプだ。そうなるとこの御輿は2人で担ぐしかなくなる訳だが、残りの2人がそれでもこの御輿を担いでいてくれるかである。1人だと御輿の下敷きになってしまい大怪我をする事になる。何とかこの御輿は2人でしばらく時間稼ぎしている間に応援を呼ぶ事になったが、中々、来ない。そのうち、2人の内1人がぐずり始めた。「俺が持っている方が重い!」とか言ってもう1人に文句を言い始めて喧嘩になる。そもそも無責任な2人の分の責任を担いでいる責任感のある2人。それぞれに点数を付けるとしたら無責任な2人を0点、責任感がある2人を100点とする。そして、責任感100点の2人の内1人でも50点だった場合もこの御輿は落ちる。50点の存在とは最初に与えられた自分の責任だけを全うする人の事。これでは、個々の責任としては果たしたがチームとしての責任を果たす事は出来ない。私は100点のスタッフの割合が多い会社にしたい。 (2/13)
- あなたは、朝からちゃんと起きて学校や職場に行けただけでも偉い!特に学校や職場に馴染めなく孤立していたり、怒鳴られたりいじめられたり等、嫌な事が待っているにも関わらずそれでも使命を果たす事が出来た方に大きな拍手!私はそういう強くて責任感がある人を尊敬する。登校拒否や出社拒否、転校や転職という逃げ場所が用意されているのに...。私の場合はオーナー兼社長なので(今)会社を辞めることは最悪破綻を意味するので逃げ場所がないから逃げないのであり、逃げられるのに逃げない人程は強くはない。さて、最も心配なのは学生時代から人気者で勉強が出来てスポーツマンという様な人が転落した時である。親が子供を褒めて壁を取り除き現実から目を背けるように育てたら、高学歴で優秀な大人を製造できるだろうが私は好まない!大成させるには子供の内に挫折を味わいそこからはい上がる事を訓練すべきだろう。同様に私は右腕として期待する社員にも挫折からはい上がる訓練が大切だと思うが、離職率がアップしたりハラスメント扱いされる等会社にとって損失するので覚悟しなければならない。まずは私が強くならなければ...。 (2/9)
- 数日前からレバレッジについて語る事が多い私。そういえば、数年前まではレバレッジを語らない日がないくらいにいつも口にしていたのに...。さて「レバレッジ(てこの作用)」とは、金融や財務の業界用語としてだけでなく、広い意味では「少しの力で最大の効果を得る」という意味合いを持つ。私は証券外務員の資格を持ちレバレッジの効いた金融商品を学んでいたので金融としてのレバレッジの感覚を持っている。更に、ビジネス本を沢山読んでいた時期(10年程前)に、本田直之さん著であるレバレッジシリーズにはまっていた事からもレバレッジへの意識も高い。特にレバレッジマネジメントは私にとってバイブル書のひとつである。レバレッジ効果は、通常出来ないと諦めそうになった事が出来てしまう不可能を可能にするパワーを持ち、2倍どころか10倍、100倍の力を発揮する事も出来る。しかし、てこの支点である「力の入れどころ」を間違えると大きな損失につながりやすい。経営者の最重要な仕事はこれだと言っても過言でない程大切な事だが失敗が続くと自分自身の判断に自信がなくなり決断が揺るぎ始めて、いつの間にか社員がすべき事を私がやっていた。 (2/6)
- 昨年の今日(2月2日)当社は社名をホカニナイ株式会社へ変更した。社名変更後1年間を振り返ると、肝心な事が前に進むどころか後退したのではないかと思えてくる。社長として1番やらなければならない事をせずに、保険ショップの販売員と社員の管理監視(教育)という本来社長がすべきでない業務中心の1年だった。そうする事により最終的には社長がすべき業務につながる目論見だったがそのほとんどが思ったとおりにならず失敗したという説明が正しいだろう。会社には軍資金が必要なので目先の売上や利益を確保する事は大切であり、そういう意味では良い舵取りが出来たのかもしれないけれど、次の一手を打つ為に必要なものを失う事になった。次の一手を打つ為に必要なものが何かについては書く訳にはいかないので想像にお任せする。正直に言うと1番やらなければならない事から逃げる為にそれ以外の事をやっていたという面もある。この傾向は、私だけに言えるものではなく端を見たらほとんど誰も似たようなものだ。したくないからしないケースだけでなく、したくてもする訳にはいかないケースがある事を補足しておく。 (2/2)
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