社長のコラム(2020年5月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- スポーツにはそれぞれ1チームあたりで同時に出場できる人数が決まっている。例えば、野球であれば9人、サッカーは11人という様に!選手一人一人はこのメンバーに選ばれる様にと精一杯頑張っている。アマチュアであればメンバーには選ばれなくても余程の事が無い限りは(補欠でも良ければ)チームの一員にはなれるがプロであれば戦力外通報されてしまうなどチームに残存する事すらも危うい。仲良く楽しむ為なのか、健康維持の為なのか、勝つ為なのかという様に目的によって考え方は異なるが、勝つ為である上に収益の為でもあるならば尚更の事メンバーは厳選される。ここで人が人を篩(ふるい)に掛ける必要性が出てくる。どんなに人間性が良かろうと勝てないのであればメンバーどころかチームへの残存すらも出来ない。オーナー、監督、コーチはそれぞれに選手を篩に掛ける嫌な役割を果たさないといけない。もしも、そうしなかったら、お客様、株主、オーナー、監督、コーチ、そして、優秀な選手にとっては残念な事になる。結局は、人は人を篩に掛けるしかないし、篩に掛けられない様に努力するしかない。努力をしても通用しないかもしれないけど...。(5/30)
- 週一度、私が福岡へ出張していたのは仕事をする為だけではない。いろんな意味があって出張していた。その一つとして気を紛らす為という大切な役割を果たしていた。ずーっと心に秘めて悩んでいる事が少しだけ緩和されていたのだ。ついつい考えてしまうそれを根本から解決する事が出来たら良いのだろうけれど、それが不可能だったり難しかったりするから誤魔化す以外は無い。まるで痛みを感じない為に麻酔を打つかの様な緩和ケアで対処するしかない。根治する期待は出来ない。気を紛らす事が現実逃避だとはわかってはいるけど逃げずにはいられない。仮に今、どんなに充実した日々を過ごしていたとしても、私たちは誰もいつかはこの世を去る事になるのは間違いないし、既に年々、老いている。あの若くて楽しかった日々は過ぎ去り、これから何が待っているのかなんて考えなくて済む為には気を紛らすしかない。こうしたら気を紛らせられるという効果的な方法をわかっていてもそれが出来ない時、現実の世界に直面してしまう。老いていくごとに気を紛らせる効果的な方法を失っていくので、そこを注意しておくべし。(5/27)
- もしも、触覚と味覚と嗅覚という感覚をこれまで一度も感じた事がない人がいるとして、どんな手触りだとか味だとか香だという様に視覚と聴覚に訴えかけてもイマイチ伝わらないだろう。逆にその感覚を持ち合わせていたとしても、その手触りや味や香に興味が無かったらイマイチ伝わらないだろう。経験や興味が揃わないとイマイチ説明が頭に入ってこないものだ。人に何かを伝える難しさがそこにある。ここが運命の分かれ道!質を低下させて相手の目線に合わせてわかりやすくするのか、質を下げないで相手をレベルアップさせてわからせるのか、何も伝えないの三択である。私は良くも悪くも質を下げないで相手をレベルアップさせる努力をしてきた。それによって、伝わる相手には満足度が高く場合によっては感動を与える事が出来るのに対して、伝わらない相手にはその真逆の効果となる。売れたら良い儲けたら良いというだけの考えであれば、商品やサービスの質を気付かれにくい様に落とすなど誤魔化して売りつけたら良いのだろうけど私にはそれが出来ない。私どもの商品やサービスが生き残る為には潜在意識を顕在化させるプレゼンが不可欠である。(5/23)
- 最近、映画「今夜、ロマンス劇場で!」を見て久々に感動したのでコラムにした。ざーっと内容を話すとしたら、映画の中のお姫様がスクリーンから出てきたは良いが、彼女には人の温もりに触れたら現実世界から消えてしまうという掟があった。そういう彼女は現実の世界に生きる彼と相思相愛の関係。それなのに指一本触れることが出来ない。ラストには年老いて間も無く命の火が消えようとしている彼と昔から何も変わらない美しい彼女。数十年もの間、お互いに触れる事なく生きてきた証拠だ。覚悟を決めて彼に触れた彼女ともうろうとしながらも彼女の腕に触れる彼。お互い温もりを感じる事が出来た時間は僅かであり彼女はスーッとあっけなく消えてしまった。現実ではありえない様な話だが、どんなに近くに好きな人がいたとしても指一本触れる事が出来ないなんてよくある。触れてしまったら一緒にいられなくなるから触れない様にするという切ない気持ち。また、この映画が地上波初で放映されたのはコロナの時期だからではないだろうかと想像する。温もりどころか2m以上の距離だったり、マスクで表情が見えず寂しい。(5/20)
- 階段とは単に登ったり降りたりするだけではなく、デザインを楽しむものでもあると思う。美しい階段である程、出来る限り人の目に触れるところに設置したい。そういう思いからも、本社ビルの階段は人通りの多いアーケードから丸見え状態となっている。登り降りしている時もそこから見える景色は全面ガラスで開放感があり、コンクリートで頑丈に作られていて安心感、足音の響きも良いという自慢の階段である。この様に気分を上げる階段とは対照的に気分を下げる階段もある。例えば、階段にスペースを取られまいと急勾配にしたり狭くしたり目立たないところ設置するなど邪魔者扱いされている階段だと登り降りが苦痛に感じるだろう。暑かったり寒かったりじめっとしたり...。私は階段をそういうストレスの対象にしたくない。確かに階段の登り降りは平地を歩くよりもキツイしリスクもあるので避けて通りたい。仕方なく使う階段にするのか?折角だから喜びを感じる階段を作ってみないか?使ってみないか?「With コロナ」というのも、そんな感じじゃないのだろうか?私は働くという事も階段の様に見えている。(5/16)
- 「その限られた力を最も効果的に使えているか?」この物理的な問いは多くに通用する。私はこれを会社経営する上で自らに問いかける。今日はこれを船に見立てて話す。船長が舵取りを間違えたり手抜きしたりすると、乗組員がどんなに頑張って漕いだとしても、中々、目的地に到着しない。いつもの様に船長が舵取りをして乗組員が漕ぐというやり方では期日までに到着せずに無駄になるとわかっていてもやり方を変更しないつもりか?❶このオールで良いのか?❷手では力が出ないので足を使った方が良いのでは?❸人が漕ぐのではなくスクリューだとか帆をつけてみたらどうか?❹船ではなく飛行機が良いのでは?...などと考え上で、最も現実的で最適な方法で対処しなければならない。費用や時間など総合的に考えた結果、スクリューまでは予算が確保出来ず❷を採用し足の力を使う事として、一部❸の帆を採用した。これによって、船のスピードは2倍になり、約束の期日までに到着出来た。合わせて、乗組員の疲労も半減した。その後、船長は一定の舵取りを任せて、もっと大切な事に目を向ける事が出来た結果、予想を遥かにこえる嵐を乗り越える事が出来た。(5/13)
- 私はコロナ自粛期間中、毎日欠かさず散歩している。今日は生憎の雨だったが「雨が降ったので散歩が出来ない!」という事にはならない。ありがたい事に「屋根が続いている日本一長いアーケード」の中に勤務先があるから...。ちなみに今日は片道約1kmのアーケードを2往復、4kmの距離を50分かけて歩いた。歩数にして5000歩。このアーケードは地下街とは異なり換気されているし、夜は人通りもそれほど多くはないので比較的安心。当たり前だが24時間365日いつでも歩ける。深夜でも灯がついているので真っ暗ではないし、真夏の炎天下であっても屋根付きでお店のエアコンのおこぼれが少々でもある分歩きやすい。アーケード内には約200店舗のお店が立ち並び、デパート、スーパーマーケット、飲食店、銀行、病院、コンビニ、電気屋さん、洋服屋さん、薬屋さん、化粧品屋さん、老人施設、公民館などの施設などが揃っていて便利。アーケード周辺には図書館や美術館や急性期病院や飲み屋街やスポーツ施設もある。当社も保険ショップとカフェとして、この街を明るく保つ役割を果たしている。あらためて、このアーケードに価値を感じた。(5/9)
- 私は保険業界のあり方がこのままではいけないと思い20歳代を保険営業に捧げてきた。その頃の私は、営業マンとして、そこそこ能力を発揮していた。おかげで、全国レベルのトップセールスマンと会うチャンスが増えて気付きがあり更に磨きがかかった。こういう私だったが、おおよそ20年前に営業マン一人の力なんて脆いものなんだと気付く。特に転機になったのは、30歳の頃、アキレス腱断裂によって9日間入院した事。病室でも仕事をするもその力は貧弱だった。もしも、これが大病だったらと想像するとゾッとした。保険を取り扱いながら、こういうリスク対策が出来てないなんて許されないという思いから、その後、私は数名の社員を採用する事になった。まず最初の壁は、人に仕事を任せる勇気だった。自分でやった方が速いし間違いないので、ついつい自分でやってしまうのを我慢しなければならない。そして今、管理・教育出来る人材、経営者目線の人材、アイデア思考がある人材などを育てる事に力を入れているが心折れそう。そして、これは広範囲な社長業の仕事の一部に過ぎなく、そこに力を使い果たせない。(5/5)
- スマホアプリに私の1日の平均歩数が5年前の3月から記録されていた。2015年は6,469歩、2016年は6,326歩、2017年は4,965歩、2018年は4,906歩、2019年は5,154歩、2020年は5,276歩。この歩数は厚生労働省が健康の指針としている成人男性9000歩と比較するとかなり少ない。コロナ自粛中の今、マイカー通勤でデスクワークという歩く事と縁のない私が努力をしなかったら、たったの1日1000歩程度しか歩いてないはず。これまではフィットネスジムで汗を流したり、出張した際に福岡市内を散歩したり等により、帳尻を合わせていたのだが...。これでは運動不足で足腰が弱ってしまいそうなので、その不足分を充足するかの様に、会社周辺を毎日30〜40分程度散歩している。これだけでは足りないので、深夜、自宅に帰ってから風呂に入る前に、簡単な筋トレ、クロストレーナーを最低10分以上、ZumbaかBodyCombatのいずれかを一曲分軽くやって、風呂上りにシックスパットフットフィットをやるというパターン。今日からはストレッチをプラスする。私の将来の夢は若くなる事なんで、その夢に向かって今日もやるしかない!(5/1)
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