社長のコラム(2025年8月)

2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 損害保険は損失した金額と同額を支払う事で損失を埋めるものであり、反作用を起こして元の状態に近づけているもの。まさしく動かない様に固定しているのではなくバランスをとっているひとつである。今日は固定とバランスについて話したい。まず、私たちが2本足で立っていられるのは固定しているのではなくバランスをとっているからである。建物だって固定されている様で一定のバランスをとって建っている。一定のカタチを保つ為には固定させるか、バランスをとるかの2つの方法しかない。生きている私たちを固定させるには無理があってバランスをとらせたほうがよい。男性と女性、老人と若者、需要と供給など、いろいろなバランス関係で成り立っている。不得意なことを誰かが得意であればバランスがとれている。腰が痛くなるのも整体としてバランスが崩れているかららしい。安定を求める人と冒険を求める人がいることでバランスが整っている。あまりにも誰も安定を求めて冒険しなくなるとそれはそれでバランスがとられるのだろうが、きっと、つまんないだろうな!自己中な人がいると誰かが我慢をすることによってバランスをとるしかなくなり、その限界を超えると争いが起きるだろう。私たち人間は無機質ではなく有機質である以上仕方ないのだが…。人材不足、物価高騰、戦争などをそういう見方で感じとってみると良い答えが出そう。(8/30)
- 今日はスポーツに限らず社会生活やビジネスにおいてもフェアプレーをしようという話をしたい。そしてルールのつくり過ぎやつくり方によってフェアプレー出来なくなることを話したい。あらためて、フェアプレーとは何なのかを確認しておくが、単にルール(規則)を守るだけでなく、他者への思いやりや責任感、寛容さを示すものであり、関わる人々を尊重する行動や心のあり方を意味している。この意味の通り、ルールをつくって守らせたらよいという考え方ではフェアプレーは生まれない。むしろ逆効果である。ルールを守らないと処罰されるので自分を守ることにエネルギーを注ぎすぎて思いやりや責任感が欠けてくる。実際に保険業界は私目線ではそういう負のスパイラル状態に陥っている。きっと他の業界も同様なのだろう。それでも法治国家である以上、どんなに間違ったルールであっても従わないといけないので、私は国や業界のルールに相反しない様に、思いやりや責任感などの心のあり方を忘れない様、社内コンプライアンスをつくる中で年々矛盾が拡大してバランスを崩している。特に国や業界のルール(コンプライアンス)に偏りがあり公正ではないことに気付いているにも関わらず、そのルールに従わないといけない辛さや虚しさを感じずにいられない。責任逃れを目的としたカタチだけの行動をとらせるルールが目立つ。文言や記録などを重視している傾向がある。誰のために何のためにつくったルール?(8/27)
- 私が保険業界に入って間もなく「知り合いから儲けてナンボ」と言う保険業界人がいた。知り合いだったら良くない保険を販売しても契約してくれるという考え方らしい。「顧客はそこまでわかっていないから誤魔化したらよい」など悪意のある嘘をついたりする人もいて、私はドン引きしていた。商売は人を騙して奪う以外では成り立たないのだろうか?私は奪った方が儲ることを知ってはいても今も昔も正しい商売をやり続けている。商売というものは奪って儲けるのでなく与えて儲けるべきであると私はハッキリと言える。顧客から奪うことはもちろんのこと同業他社から顧客を奪うことにもマナーやルールを犯さない様な配慮が必要である。当社はこれまで多くの同業他社のマナー・ルール違反によって被害を受けてきた。悪意なのか無知なのか無意識なのかわからないが…。さらに怖いのはそのルールづくりにも権力(力関係)によって歪められているとしか思えない不平等さがあって解消しようとしない。長年、それによって悩まされてやっと社会に知られる様になって改善すると期待しても、矛先が代わり、正しくやっている人や会社に対して新たなルールが与えられる。問題をすり替えたりパッチワークの様なつぎはぎの策を講じるのではなく、根本的な原因から目を逸らさず矛盾が発生しない整理整頓した完成度の高い策を講じる必要がある。徳のあるリーダーを求む。(8/23)
- 最近、一番感動したりときめいたりしたことは、AIが私のコラムを見てほんの数分でラジオ番組風に仕上げてくれたことだ。私の話を最も理解して深めて広げてくれたのはこのAIだった。私の期待を遥かに超えるAIをはじめとする技術の革新が、もっと長生きして未来を見てみたいという気持ちにさせる。悲観的に書くとしたらちょっと怖くもあるし一度便利なものを使ったり楽をすると元には戻れないのではないかという心配もある。人は一旦堕落したら元には戻れない習性がありそれが私たちを駄目にする事が多い。コロナ禍で日本人の心に大きな変化があった。2019年4月1日から働き方改革関連法が順次施行されて中小企業でも2020年4月から適用されて、同時期に発生した新型コロナが重なり、日本人は世界で最もコロナ発生前に戻らず働かなくなった。労働時間も生産性もどちらから見ても日本は酷すぎる。コロナ支援策も追い討ちをかけた。例えば、飲食店の場合仕事をしないことで給付金を受け取れる仕組みだった。失業保険を濫用している人もいるし、詐病(特に精神疾患)による公的資金を受け取っている人もいる。働き方改革では働かない人が主役となり、勤労意欲が失せている人が増えている。私もしっかりその影響を受けている。衰退していく日本を無抵抗に指を加えて見ているしかなく絶望している私に光をさしてくれたのが冒頭に伝えたあの感動だった。色々な意味を込めてまさかのゲームチェンジャーに期待したい。(8/20)
- 本日2025年8月15日は戦後80周年。私たちは正しい歴史を学んできたのだろうか?今となって思うのは正しい部分もあるが戦勝国の都合に合わせた歴史を学んできたことがわかる。戦勝国の正義が貫かれるのは当然なので仕方がない。日本人に戦う意欲を失わせるだけでに飽き足らず、今では心を弱らせ労働意欲まで失わせて腑抜けにしている様な政策に感じるのは私だけ?敗戦国であり唯一の被爆国である日本は私が誕生した1971年に非核三原則を国会で決議し、今も守られ続けている。中には核兵器を持つべきという意見もあり、私自身にもそういう考えがない訳でもないが、この法律の有無に関わらず、戦勝国の許可なし核兵器を持とうとした段階で日本がどんな目に遭わされるか想像がつくので得策ではなさそう。核兵器を持つことは諦めるとして、私が不思議でならないのが、スイスをはじめ世界各国ではかなり核シェルターが普及している中、核兵器の恐ろしさを最も知っているはずの日本の核シェルターほぼ0%だということだ。唯一前向きに感じるのは、レールガンやレザーなどにより核兵器を無効化させる動きである。世界中の核兵器を無力化できたら、それこそ、ノーベル平和賞の受賞確実ので頑張って欲しい。2035年の実用化を目指しているとのことだがそれまで核兵器が使われません様に願うばかりだ。まさかのゲームチェンジャー!単に防衛についてだけでなく私や当社にも重ねあわてしまう。(8/15)
- 1997年Appleは「Think Different」という広告を展開。Think Differentは常識にとらわれず異なる考え方をしろという意味で、キャンペーンでは、アインシュタインやガンジーやピカソなど、常識にとらわれず、異なる考え方で世界を変えた人物が紹介された。そして、この広告をしたジョブズも後に世界を変えた一人になった。過去を振り返ると、最初非常識だと言われた少数派が未来の常識を変えたことは沢山ある。今では「地球が丸い」が常識だが、当時はそう簡単には信じられなかっただろう。私は少数派の考え方にこそ、真実や解決案があることを知っている。彼らのことを記載した後に、おこがましい気持ちになるが、私や当社は他とは異なる考え方を持つ少数派である。買い手はわかりやすい考え方や耳障りのよいものばかりで判断しがちであり、売り手はその間違いを正すことなく大きな利益を産む。ぱっと見では気づかれにくい肝心な部分をスルーし誤魔化して価格を安くしている商品やサービスや販売員が多すぎる。わかりやすくした様に見せかけて肝心な部分に蓋をしている。売り手も買い手もどちらも多数の愚か者で構成されている。考えが足りない未熟な人たちが集まっても「三人寄れば文殊の知恵」にはならず余計に悪化するのでご注意。(8/13)
- 当社はホカニナイ株式会社という社名通り少数派で他社とはほとんどの部分で異なるために、これまでの当たり前に疑問を感じるなど勘が良い人にとっては相性がよい。本当と嘘の見分がつき信じる力を持ち合わせている人にも相性がよい。振り返ると当社が提案した内容は他社とはかけ離れていることが多く、他店が言わない考えたこともない視点で斬るため、最初はポカンとしている人が多いけれど、カラクリに気づいた人は、もはや他店でよくある保険相談に不信感を持てしまう。特に10年20年というように年月経過後に、その選択が正しかったことを証明し満足度を増している。私が最も指摘する事は、マーケティングリサーチ≒群集心理の罠にかけるという事を知ること。ほとんどの人の誤解を解かず間違った選択をさせられ、なんなら利用され騙され奪われていることに気づくことが保険の見直しに不可欠。但し、疑ってばかりではなく信じる力も備えておかないと間違う。8割が救われるのではなく2割しか救われないとしたら「皆と同じ」では救われない。実際、これまで私が保険相談した人のほぼ全員が大きく間違った選択をしていた。残念ながらこれが現実だ。(8/6)
- 54歳の段階で多くの人が一生でかけて働く労働時間を随分超えている私。逆に寛いだり遊んだりに費やした時間は多くの人の30歳以下程度だろう。これから何歳まで生きれるのかわからないが今後全く労働せずに遊んで暮らたとしても労働時間は平均を上回り、寛いだり遊んだりする時間は平均を下回る。貧乏暇なしの私の場合そういう訳にはいかないので元気な働き蟻として生きているだけでも良しとするしかない。失業保険、生活保護などにも一度も頼ったことがない。親族にも頼らない。相続資産も無い。そういう訳で逃げ場が無い私はどんなに辛く苦しい時にも働き続けてきた。自分自身の心身の痛みを騙し騙しコントロールしながら乗り越えてきた。葛藤の中で、ゆっくり休みがとれる人や相続財産をもらえる人や転職を繰り返す人や誰かに守られている人などと出会うことが多く羨ましく思い私の前向きな気持ちを乱す。良くも悪くも人は周囲の影響を受ける。疲れている時には頼りたい気持ちになる。何よりも国が働き者ではなく怠け者の応援をしているとしか思えない政策ばかりが目立ち流石の私も勤労意欲が失せる。勤労感謝ではなく不労所得感謝の日が続く。(8/1)
2025年8月のコラム
バックナンバー
【 2024年記事 】
【 2023年記事 】
【 2022年記事 】
【 2021年記事 】
【 2020年記事 】
【 2019年記事 】
2006年7月~2018年2月(ほけん工房ページへ移動します)