社長のコラム(2020年6月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- まもなく50歳を迎える今、歳月が過ぎていくその速さに恐怖を感じている。お洒落でカッコよく元気で若々しくいたい。そして、そういう生き方をしたい。年相応なんて事を考えていると老け込んでしまう。確かにあちこち痛くなったり疲れやすくもなるし頭の回転も悪くなったりで年を誤魔化せない。残念な事に20年前の私自身の写真と比較したら別人と思う程にそれなりにオッサンになっている。この調子だとあっという間に還暦を迎えてしまう。過去を振り返ると二十代前半の私がなりたかったのは28歳だった。それは仕事上の信用を得たい思いとその年齢への憧れからだった。これ以降は誕生日を迎える度に若くなりたいという思いが強くなっていった。浦島太郎が玉手箱を開けて突然おじいちゃんになったかの様に49歳としての自覚がない私は現実を受け入れる事が出来ないし受け入れたくもない。何よりも30歳並の欲求を持つ私にとっては年相応に生きる事はストレスである。若い人を羨ましく思い指をくわえている。せめてもの抵抗ではあるけれど、お洒落でカッコよく元気で若々しくいる為にやるだけの事をやっておく。(6/27)
- 「たまたま出来ただけなので実力じゃない」「あの邪魔さえなければ成功したのに!」…。《必然》だったのか?《偶然》だったのか?一度や二度ではそれがどうなのかまではわからないけれど何度も繰り返していくうちに《必然》だった事がわかる。悪いものだったとしてその原因となる問題点は深く気付かれにくかったり改善しにくかったりする。根本的な改善が出来ない限りはこの問題は永遠に続く。当然、うまくいかず無駄打ちをして失敗を繰り返す事になる。最近の私はこの罠にかかっている時間が長い。私が有能であれば早い段階で必然・偶然、及び改善出来るかどうかの判断までハイスピードで行う事が出来るはず。私は足踏みし過ぎている。チャンスは突然やってくるものでタイミングを合わせる力が必要。だからこそ、いざという時に判断を間違えないようにする為にも、日ごろから思考しトレーニングするなど準備をしておかなければならない。更に注意しておく点として、この期間にはそれほどの成果が上がらない為に、このペースから勝手に逆算して間に合わないと判断して諦めてしまいがちなので気をつけなければならない。(6/25)
- 「100回嫌だと思うまでは辞めない!」...そう考えて続けていると良い流れに変わる事がある。これは仕事だとか部活だとかその他色々に共通する。このコラムを書き続ける事もそのひとつ!中には1回2回嫌になったらすぐに辞めてしまう人もいる。それはそれで判断力、決断力があるとしたら正しいのかもしれないけれど、判断が早すぎないだろうか?今の状況が最悪の状況であるからこそ起死回生のチャンスを狙ってみるのもありだと思う。私はそう意識している事もあって色んな事が長続きする様になったのかもしれない。「諦めが肝心」VS「石の上にも三年」という様にもっともらしい真逆の考え方があり、迷った結果、継続する事を選択している。対人関係でも同様に簡単には見捨てない。悪い部分が先行したり続いているだけできっと良い部分を見つける事が出来るのではないかと期待し努力をする。私が諦める時は試行錯誤した後であり、そうこうしている内に相手から去っていく事もある。人としてどうかだけではなく経営者としてどうなのかと考えて、何が正解なのか不正解なのか模索する事が大切!まだまだ私にはどうしたら良いのかわからない。(6/20)
- 信用できなくなっている段階で「お前は既に死んでいる」状態なんだろう。人に裏切られた経験がその力を弱める。自分自身を信用出来なくなる。どうしてこの人を信じてしまったのだろうと自分の目にも自信がなくなる。信じたくて信じて欲しくて!それなのに…。簡単そうでそう出来ないのは、人は嘘をつくし裏切るからだ!しかも、その見分けがつかない。だから、信じて良い人を疑ったり、信じてはいけない人を信じて騙される。ウソ発見機が正確で使いやすく安価なものになるとしたらそういう間違いを起こす事はなくなるだろう。出来る事ならそういうものがなくても誰も嘘をつかず裏切らないなら良いのだが…。裏切りを広い意味合いでいうとしたら、期待から外れたら裏切りという事になるので線引きは必要。責任感がある人はその線引きが高い次元にあり、どうしようもなく手の打ちようがなかったところまでも裏切りの対象にする。プロの職人の仕事ともなれば、その高い次元に線引きをしていて、お客様に気付かれない様な品質の細かいところですら誤魔化せなくて満足出来ないものは捨てる。お客様からいただくのがお金である事に間違いないが信用をいただけるように!(6/18)
- 新型コロナ感染予防としてマスク着用が当たり前に!嫌、感染予防としてではなくエチケットとか傍目を気にしての着用という人が多そうだ!例えば、飲食店でマスクなしで食べるのは良いが、食べている途中に唾飛ばしながら会話し、食べ終わってからマスクを付けて帰るというアベコベな人もいる。こういう姿を見ると建前マスクなんだと思ってくる。私の場合、マスクは少なからずとも感染予防にはなっているので付けることに越した事はないと思う反面デメリットもあるので付ける時と付けない時のメリハリをつける事にした。判断が難しいのが接客時である。マスクをして商談していると、こちらの表情が相手に見えないしお客様の表情もこちらには見えなくて意思疎通しにくい。これくなら余程ウェブ会議の方が話しやすいし聞き取りやすい。そして、心が通じ合う。更に、マスク付けていると息継ぎする際、酸素が吸えず酸欠になる。濃厚接触の定義はマスクなしで1m以内で15分以上接触する事を言うらしいので更に余裕を持って2m以上の距離を取ることによってマスクを外す事は許されないだろうか?私もついつい傍目を気にしてしまう。(6/13)
- 今夜も眠たくてなかなかコラムが書けないので散歩することにした。そして今、傍目を気にしつつ歩きながらiPhoneに話しかける様に音声入力をしている。この機能は思った以上に便利。僅かにミスがある程度で少なくとも私よりもタイピングが上手い。ここで入力されたものは自動的にiPadやMacBookやiMacと共有するので、散歩から帰った後に修正してまとめてアップロードする。MAC信者である私の場合はこうなるが、そうじゃない場合はGoogleKeepを使うと便利。参考までに...!一日中パソコンのディスプレイとにらめっこしていても、あちこち痛くなったり足腰も弱くなるし頭もさえない。精神的にもよろしくない。こうして歩きながらコラムを書くのはそれらの解決になりリセットできるのでとても良い。季節感や景気や街の雰囲気なんて言うものも感じることができる。今日だと「やっぱ梅雨入りしたんだなぁ」と感じさせられる雨が降りはじめ少々湿気が多いものの夜の街はまだまだ涼しく心地よい。しばらくこういう感じで散歩しながらコラムを書いてみようかなと思っている。さあ、夜も遅いので帰ろう。(6/11)
- 「私はあなたにとって何なのか?」「あなたは私にとって何なのか?」先輩後輩、上司部下、師弟、親子、兄弟、夫婦、恋人、憧れの人、友達、親友、ビジネスパートナー、クライアントなど、人と人は何らかの関係にある。中には2種類以上を兼ねている事もある。ちなみに、オーナー社長と社員は労使の関係で繋がっている以上、それ以外の関係にはなれない。釣りバカ日誌の様な関係もない。その一つに私はこれまで男女問わず社員の誰にも指一本触れる事もなく注意や指摘をするにしても相当な勇気を振り絞っている。社員には苗字に「さん」や役職をつけて敬語ベースで話す。「山田さんお願いします!」って感じ。ソーシャルディスタンスなんて新型コロナが発生よりもずーっと前からやり続けている。こういう関係性を保ち続ける訳は会社を経営する責任や使命あっての事。そして、ハラスメントをはじめとするコンプライアンス...。個人的欲求を優先するのであれば、労使の関係であったとしても自由に関係性をつくる。人と人のあらゆる関係性は何らかに妨げられていて歪みが発生している。(6/7)
- 「今日はコラムが書けない!」「書きたくない!」既に2時間過ぎているがコラムを書こうとすると急激に睡魔が襲いかかってきて前に進まない。私の意識とは裏腹に目蓋がおりて気付いた時には眠ってしまっていてハッと気付き起きるという様な事が何度も繰り返される。この様に書きながら、たった今もすーっと落ちていった。思いきって眠ってしまえば良いのだろうが今やらなければならない事なので仕方ない。今日みたいに書きたくなくても書かなければならない日にも書き続けたからこそ週2回14年間続いている訳だ。その夜はここまでの記載で撃沈。...という事でここからは朝起きてからのコラムになる。眠たかったり疲れていたり悩んでいたり痛かったりなどすると人のパフォーマンスはかなり低下する。朝になると夜よりは調子が上がっていることが多く今日もそうだ!昨夜、ネタがなかったわけじゃない。いつもより仕事量を減らし自由な時間を過ごした一日であり、いつも以上に歩き、コロナ自粛一部解除で「2ヶ月ぶり!」なんていう人と再会したり等...。良いネタ(チャンス)を活かす為にも自分自身の力が最大に発揮出来る環境を整えていく事が大切な様だ!(6/4)
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