社長のコラム(2018年10月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 本日10月31日はハロウィンの日。先週あたりから街はコスプレ(仮装)した人々が増えてきて、先ほど天神警固公園には隙間が無い程にコスプレをした人々で溢れかえっていた。私は一度もコスプレをやった事がないけれど、実のところ興味をもっている。イマイチのものや気持ち悪いものも沢山あるけれどすごくいいものもある。何よりもやっている人がすごく楽しそう!今朝もバットマンのコスプレをしている人が酔っ払って倒れている(フェイスブックの)写真を見て笑った。戦いに敗れて倒れているかの様で...。カッコから入る事によって、中味は後でついてくると言われる通り、不思議とその雰囲気にあった自分になってくる。私の髪の色をシルバーに変えた話は前回のコラムに記載したばかりだがコスプレに似た効果がある様だ。私はもっと自分自身の気分を上げる為に外見を変えるべきだと思う様になった。もしも、私がこれまで私自身と思っていたのはコスプレして演じていた誰かであるとしたらそれは無理をしているのであり、本来の自分を取り戻すべきだ!自分探しの旅の様な...。(10/31)
- 昨日、私はフィットネスジムにてズンバ(zumba)という主にラテン系の音楽に合わせて動くダンスに挑戦した。さすが、明るくて陽気なラテン系だけに、やっているうちに楽しい気持ちになってきた。世界中に熱狂的なファンが沢山いる事に納得。私は楽しくなった代わりに腰が痛くなってきたので喜んでばかりではいられなかったが...。今日はラテンについてちょっとだけ調べてみた。まず感じたのは、ラテン系の国々(イタリア、スペイン、フランス、ブラジル等)は決して経済的な勝者とは言えないが、リオのカーニバルの様に一日でパーッと消費して騒ぐという元気を感じる国であったり、食文化、ファッション、デザインなどでもいいものを持っている国だったりする事。ダンス自体も皆ときちんと合わせて動くというよりも音楽に合わせて楽しく動くという色の方が優先される勝手気ままな印象である。ズンバはインストラクターが言葉で説明するという事がなくピエロみたいにジェスチャーする。頭が疲れている人には言葉や説明よりもこの方が嬉しいだろう。ラテン系の国って、文字、文章、言葉ではないもので表現している?(10/27)
- 今日から私の髪はシルバーに変身!見たらすぐに気付かれるくらい目立つ。これからは第一印象がシルバーの髪の人になるのだろう。これまで仕事柄髪の色を変えるのはナンセンスだと思ってきたので抵抗があり決断するまでに2週間を要したが、この決断は今の私には正しい選択であったと信じている。最近の私に欠けていたものは「遊び心」…。遊び心と言っても頭の中がどれだけ遊べているのかどうかであり、実際に遊んでいる訳ではないので悪しからず。今回は頭の外くらいまでは遊んでしまったけど…。私自身に遊び心がある事は、本人、社員、顧客、そして、会社にとっても悪くないはず。一見、真面目を売りにしていそうな私の本当の売りは遊び心にある。社名がホカニナイ株式会社である事自体も遊び心あっての事。遊び心により発想の転換を生み、ホカニナイ新たな価値が生まれてくる。会社を経営する役目を持つ私にとって新たな価値を生む事は最も重要な仕事と言っても過言じゃない。私が得意なのは遊び心から生まれるプロデュースであり、それを失くして私の価値は語れない。もうこれ以上に私の頭を無駄な事に消費してはいけない!(10/24)
- 若年性アルツハイマー型認知症を題材とした新ドラマ「大恋愛」。これまでにもいくつかのドラマや映画で、本人は勿論の事、家族や恋人や友人が現実と向き合う姿が描かれている。少しずつ物忘れが激しくなり判断能力がなくなっていく。誰でも、若い時は出来る事が増えていくのに対して、老化によってシーソーが傾くかの様にそれは減っていく。加齢によって出来る様になるものもあるけれど、失いたくないものに限って手放さなければならなくなる。残酷である。明るい未来が待っていないと前向きになれず惰力で生きていく事になる。子供や孫の成長を楽しみにして生きていくのも良いかもしれないけれど、自分自身と向き合うことから逃避するのであれば賛成出来ない。平均寿命は80~90歳くらいだけれど、その中でも(私が思う)質の高い時期というのはそんなに長くはないのかもしれない。既に今ですらも昔出来ていた事が出来なくなってきたり質が低下してきていると実感している。寿命を延ばす事も大切だが、それ以上に生きる喜びを感じる期間を長く持ち続けていく事に目を向けるべきではないか?(10/20)
- 変態仮面に変身します!そう言ったらそんな趣味があるのかと思われてしまう等のリスクが発生するけれど、何を言い出したかという事で掴みはとれやすく面白いと思ったので書いてみた。ひとまず、リスクを最小限に止めるためにも変態仮面について説明しておく。変態仮面とは福田雄一監督、鈴木亮平主演の映画で原作は漫画。彼は女性用の下着を被る事によって変態仮面に変身する。よくこんな恥しい役を引き受けたという事で役者のプロ意識を感じる。私は変身する事によって通常30%しか使えていない力を100%引き出す事が出来るという点に反応した。そうだ!私も変身したらいいのだと...。原理的には、自然にリミットをかけてしまい能力を抑えない様にする事だけれど、それは簡単ではなく精神を破壊させてしまいかねない。そこで、私が行き着いた解決方法は欲求を満たす事。変態仮面は欲求を満たしたり満たせる期待感の中で本来の自分を抑えこむリミットをはずす事に成功しているのでは?好きな人にかっこいいところを見せて認めてもらいたいとか、給料を増やして欲しいものを買いたいとか、褒められたいとか、喜ばれたいとか、喜ばせたいとか...。(10/17)
- 本当にしたい事が何なのかを言う訳にいかない。世間体、法律、人の気持ち、責任等を考える中で封印しておくしかない。それを破った場合、多くを失う事になる。人によってそれが何なのか異なるだろうから漠然とした表現で誤魔化した。この冒頭の一文は多くの方にとってうなずける話だろう。カミングアウトしてスッキリしたいと思う気持ちを抑え続けるべきか?この様に自分に嘘をついて、本来の自分ではない人物を演じていたら、本当の自分はそこにはいなくなっていて演じていた偽者に乗っ取られてしまい人からはその偽者が目に映っているだけ!本来の自分を封印してまでも責任を持ち真面目に生きていたら、意外に周囲の人々は無責任に自分らしく自分の事だけを考えて生きていて、その現実に気付いた時、これまでの人生に後悔して、その後は心が病み破壊的になったりする。結果的に多くを失う事になり我慢して損しただけ!本当にしたい事を我慢する事で守りに入り、そこをつけ込まれてしまう。次の一手の打ち方がバレやすくて騙される。本当に守るべきものは一度きりの自分の為の人生なのでは?(10/13)
- 聖徳太子が同時に10人の話を聞けた事は有名。私がたった一人の話ですらも聞き漏らしてしまいそうなのは有名ではないけれど現実。私も歩きながら聞いたり話したり出来るし、自動車の運転をしながら考える事も出来る。しかし、2人以上の話を同時に聞く事は出来ないし異なるテーマを同時に考える事も出来ない。簡単には解決しない事を考え続けていたり悩みを持っていたりすると、ひとつ考えるべき事が増えるだけで必然的に2つを同時に考える事になり、当然、能力が低下する。忙しさのあまり、2つ以上の事を同時に考えるマルチタスクが癖になると一つの事だけを考えるシングルタスクが出来なくなっていく様だ。2つの事を関連付けて考えるのであればシナジー効果が見込まれるけれど、そうでない限りは避けておいた方がよさそう。はじめてやる事は脳をフル回転しなければならないので、それ以外の何かを考えながらという同時進行するのは難儀。そういう事でも、いつかは慣れてきてルーティン化し頭をあまり使わなくて済むので、同時進行で考える事が出来る様になる。頭を使うものと使わないものを上手にセットすると解決出来るそうな事は多い!(10/10)
- 10月3日(水)、私はスポーツジム仲間にご招待いただきヤフオクドーム(福岡ドーム)にて野球観戦。昨年に続き今回で2回目となり甘えてばかりでよいのかとも思いながらも、また誘ってもらえる事を待っていたのかもしれない。実のところ私はプロ野球に詳しくない。しかし、十分に楽しめている。特に、前日に少々予習しておいたので見所がわかり野球そのものも楽しめたので尚更。そして、何よりもお祭り感覚がいい。3万人以上の観客が円になって同じところを見ながら、一緒に喜んだりがっかりしたり出来るなんてなかなかない。円になっているので、選手だけでなく観客席の皆さんの多くは死角になりにくい。盆踊りの様に輪になって踊るとかキャンプファイアー、そして、円卓なども似たような感覚があり、輪になって皆で囲むというのは何か特別な魅力を感じる。ところで、輪の中心にいるプロ野球選手の視点ではどの様に見えているのだろう?私はこんなにたくさんの人に見られるなんてことは一度もないのでわからないけれど、きっと、ライブ会場の様に同じ方向から見られている以上に気持ちいいのだろう。(10/5)
- 本日、本庶佑氏(京都大高等研究院特別教授)が免疫を抑制するタンパク質を発見し、がん免疫治療薬「オプジーボ」の開発につなげたというノーベル医学生理学賞の受賞関連ニュースが流れた。私自身、この薬の概要程度は知っていたし、会見の中でとても良い事をおっしゃていたのを見て、いつもよりも前倒しでコラムを書く事にした。「研究は何か知りたいという好奇心がないといけない。そして、簡単に信じない」という言葉が私の心に響き、更に調べていく内に「研究では偶然を見逃さないことが大切」とか「基礎研究とは無駄なんです。しかし無駄の中から生まれてくるんです」とか...。基礎研究は、知識欲や好奇心から生じるものであり、直接または即座に商業的な利益を生み出すことを意図してないので、国も企業もある程度即効性を求めたいだろうから予算が出しにくいものに違いないだろう。弊社でも同じような事が言える。短期的な売上をあげていく事はとても大切であるに違いないが、すぐに成果を出せないけれど研究していく様な面を持ち合わせておかなければならないだろう。無駄の中から生み出そう。(10/1)
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