社長のコラム(2020年8月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- ただでさえ年々何かと束縛されていき動物ではなく植物にでもなってしまいそうだったのに、コロナによるマスク着用、ソーシャルディスタンス、不要不急な外出禁止などで更に息苦しさが増した。嫌、生き苦しい。コロナになろうものなら、SNSなどで残酷にも責めたくられる恐怖から知らない誰かにも見られている様で萎縮してしまう。勝手に偏った正義がつくられていく。コンプライアンスは弱者救済という仮面を被った強者救済になっていないか?3兄弟の長男が末っ子を守ると言う大義名分の上で次男が困る様なルールをつくる様な!本当の悪に対しては見逃されている。例えば、改造車で車検が通らない様な自動車が走っているのに、うっかり停止線で止まり損ねたりスピードを一瞬超過した自動車が捕まったり!私の様な金融機関で社長で男性でという様な立ち位置は一見強者に見えるがコンプライアンスなどが加味されると弱者でしかない。ハラスメントなんかもその典型的なもの。電車の中で痴漢したという冤罪も多いと聞く。本当の意味での弱者がいてその弱者を更に束縛するなど見せしめにする事で本当の悪が蔓延っている様に見えてならない。(8/29)
- 干ばつに苦しんでいた村で3年間眠り続けた寝太郎という男がいた。仕事を何もせずただひたすら寝続けていた寝太郎に周囲の者は怒っていたが、寝太郎がある日突然起き出して、山に上って巨石を動かし、その巨石が谷に転がってぶつかり続け、ついには川をせき止め、川の水が田畑に流れ込んで村が救われる。寝太郎は3年間ただ眠り続けていたのではなく、いかにして灌漑を成し遂げ、村を旱害から救うかということを考えていたのであった。その男の名は三年寝太郎…。今の私がこの眠り続けている3年間であるならばこれから起きて大仕事をやるはず。なるわけないかー。三年寝太郎は寝ている様にも見えていただけで、その間、考え続けていたのだから、考える事を放棄してボーッとしている私とは訳が違う。私は考えていたら眠ってしまうというパターンなので、考えようとしなかった訳でもないのだが…。三年寝太郎が周囲から輝いていたのは村を救った時である事は間違いないけれど、彼が最も頑張ったのはこの3年間であっただろう。結果が出なかった場合、単なるグータラ男扱いされるので傍目を気にするならば、なんかしたふりしておいた方が良い事になる。(8/27)
- 今日も大した事をせずになんとなく一日が過ぎていく。こんな日が続く。スケジュールが埋まることでボーッと1日を過ごす事が無くなるのは確か...。しかし、暇をなくすと私はそれ以上にやるべき事から逃避してしまう。そう思って、スケジュールを埋めずに暇を作ったとして私がその時間を社長としてやるべき事に充てたのかと言うとそうでもない。そう!ここ1週間の私はこんな感じでいつも以上に駄目社長。こんな駄目社長を改善させるには、スケジュールが埋まっているかを重視する以上に、やるべき事から逃げ出さないかを重視すべきなのだと思う。更に言うならば、逃げ出さない様に強制的に何か良い戦略や戦術を考えように義務付けたところで良いものは生まれないはず。自然と欲求が湧いてくる様にして名案が浮かんで止まらないのが理想!私は同時に2つや3つの事を解決する様なレバレッジを効かせた仕組みをつくろうとしている。その仕組みの前に私がそれを思考する事を楽しみながら成果を上げられるのであれば、それ自体がレバレッジ効果。ジム通いしている私が例えるとしたら踊って汗かいて健康になるみたいな...。(8/22)
- 決断をしなければならない期限が直前に迫ってくる。今日まで明日までと…。何かをいつまでにやり遂げるというものでも無く、ただ、決断するだけで良いのだけども…。例えば、大きな買い物をしたり、人の採用をしたりなど、後先を考えなくてよければ決して難しい事ではない。その決断によって巻き起こされる最悪の事を想像して不安に襲われるから考えずにはいられないだけ…。戦略なんて考えていると気が重くなっていく。特にコロナの様に昨年には想像すらしてなかった事が起きた今だからこそ、これから未来を想像するも負の方向でしか考えられなくなっていく。こういう時は贅沢は敵だとか人目を気にするなど派手な事をしてはいけないという気持ちになりやすい。そうすると尚更の事、頭の中が萎縮して前向きな方向に進めなくなりやすい。ミスをしない様にとか現状が守られる様にという行動ばかりをしてしまうと大きく成長する事はないしいずれ淘汰される事になる。一見、贅沢が敵に見えるが、本当の敵は萎縮する事なのかもしれない。社長はこんな時こそチャンスだと考えて、明るい未来を想像しながら戦略を練るべきなのかも!(8/20)
- 私の声はちゃんと届いているのだろうか?うつむき加減で無反応…。嫌な話をしているつもりはなくても嫌な話にしか...。私だって人の嫌がることなんて言いたくない。だけども、それが伝わらないと何もかもうまくいかなくなることがはっきりしているので諦めるわけにはいかない。どうでも良い相手にであれば伝わらなくてもそれほど気にならないのだが、そうじゃないから必死になる。余裕はない。そもそも私は一番に伝えたい事を諦めて一番に求めている事を放棄するなど相当な犠牲のもとで、現状を維持している。今の状況に満足をしてはいないがこれ以上にない程最悪と思っている訳ではなく失いたくはない。100点を求めてしまう事によって跡形なくなるかもしれないリスクがあるから弱気になる。そういう弱気な私の心を見透かされている様にも感じる。ひょっとしたら、その弱気が台無しにしているのかもしれない。「かもしれない」という想像ばかりでなかなか勝負に出る事が出来ない。カジノで一夜にして全ての財産を失う大きな賭けをする様なものだから!しかし、いよいよ私には維持する力が残り少ない様だ!賭けが出来る余力が残っている今の内に...。(8/16)
- 中が見えなくて開けにくい扉こそ開けようとしたくなる。そういう性なのか?これまでに何度となく私はその扉を開けてきた。これからずっと行きたくなる行きつけの店がそこにはあることが多い。人気が感じない無機質なエントランスからは想像つかないくらいに扉の向こうにいる人とのギャップがある。人間らしい人間たちの隠れ家だったりする。多くの人々はわかりやすいものにとか他の人と同じ様にとか人の目を気にして自分の行動を決めるのだろうし、それはそれでよくわかるけど、私はそれ以上に大切な事を知っている。一見、難しくてよくわからないものにこそ本当に良いものがあることが多い事を!その一つとして、わかりやすいものから選ぼうとか初心者だからこれでいいやというような選び方をすると次のステップに進むときに応用が効かずそれを捨てなければいけなくなる事は多々ある。だから私が何かを選ぶとき今その1つの解決をするのではなくてこれから起きるかもしれない可能性についても考えた上で判断していく。ソクラテスも言ってた!無知の知だって!だから、私が今見えている事や知っている事を疑って見る事にしてる。それが扉の向こう。(8/13)
- 「こんにちは!バイキンマンです」そう言いたくなるくらいに人が人をバイ菌扱いするウイルスの時代。私がそういう扱いを受けるのはウイルスに限った事ではないかもしれないけど…。ソーシャルディスタンスした上にマスクありという状態では、これまでの距離感でもストレスだったのに益々ストレス増大。加齢、立場、コンプランアンスのせいなのかどんどん人との距離が遠くなっていく。その上、コロナで更にとどめを撃たれてしまったみたい。ここ数ヶ月、人の鼻と口を見る事が滅多に無くて、表情がほとんどわからないのは寂しく意思疎通しにくい。面接をするにしても、直接会ってもどんな表情なのかわからないので判断しづらい。生命保険募集にしても一次選択がやりづらい。その分、オンラインで画面を通じた方がマスクをつけなくて良い分、顔の表情が見えやすいので良いのかもしれない。そもそも目と耳だけで相手の情報収集するにしても物足りなかったのに、それ以上に相手の事がわからくなってしまった。私はマスクの中で微笑んでいるのに、それが相手に示せなくて残念。マスクはこのままで続けておくと弊害があるので応急処置だと考えている。(8/8)
- 私が「私もう少しで50歳」って言うから「えっ!全然見えない」「30歳台に見える」と返してね。このお決まりのノリの良いパターンが大切なんだ。何を隠そう!そう言わせたい為に言ってるし…。たったこれだけで気分が上がる!先日なんてジムで踊っていたら踊りが可愛いって言われて良い気分になったし…。ありがたやー。言葉ひとつでこんなに喜んでいる私は単純で簡単。あんまりいい気分になりすぎると、いつものネガティブログが書けなくなってしまうかもしれない。まぁそんな事は無いんだけれども!言葉のマジックだけでも嬉しいが、次の様な瞬間があったなら更に嬉しい。またいつものように期待が持てないなぁと思っていたら、なんかこれまでの分をまとめて受け取る位にご褒美でももらったのかというような出来事が起きる。生きてて良かったと思う瞬間。期待10%それが100%になった時、とってもとても報われた気持ちになる。半沢直樹的な危機的状態から良い流れに変わるあのシーンで使われる曲が流れる!私にこんな幸せを与えてくれる人がいたら、少なくとも私は心から感謝する。恩返しをしたくなる。(8/6)
- 私はスポーツジムに通い始めて数年間、黙々と筋トレして走るばかりで、スタジオプログラムには一切入る事が無かった。スタジオを禁断の領域扱いしていた程の私は今、あの頃とは正反対にスタジオプログラムを中心に行い、筋トレはその前後に少々行う程度でランニングはしない。スタジオプログラムは決まった時間に始まり、他の皆さんと同じ時間を共有出来て、どう動くかは曲やインストラクターに委ねる事が出来る。そう!自己管理から解放される。特に体調や体型という自己管理をストレスレスで欲求を満たしながら効果を出すという一石二鳥。音楽に合わせて動く事にによってリズム感が良くなり、人の動きを目で見て同じ動きをすることで脳トレにもなり、いつもしない様な動きをする事で全身を上手に使える様になる。筋力アップとかダイエットとか健康管理とかを短い時間で合理的に行うには、スタジオプログラムよりも一人黙々とトレーニングした方が良いと思うので否定しないが、きっと、あとから気付くだろうと思う想定外の何かが満たされることがない。自己管理と他者管理のバランスはとても大切である。(8/1)
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