社長のコラム(2019年4月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 世間では今日からゴールデンウィーク10連休の始まり始まり。ちなみに当社は6日間の休みである。ところで10連休を喜んでいる人の方が多いと思うが、私はこんなにまとめた休みではなく祝祭日を分散して欲しいと思っている!数日前、ゴールデンウィークの影響で歯医者さんのスケジュールが埋まっていてやっとの思いで予約したのもその一つ。当社は比較的連休に弱い商売をしている為に経営者の私としては心配が増えるだけ!喜んでいる人の方が多いはずなので我慢するかない。他にも例えば、私は比較的暑がりで乾燥に弱いので、特に冬場、暖房で乾燥した暑い部屋では息苦しい。私以外の全員がその高温低湿度の室内を快適だというなら、私がひとり我慢するしかなくなる。もしも、私が室温を下げたなら私はここでは加害者扱いである。体感は人それぞれ違うので、誰にも快適な温度なんてものはないので、我慢するか衣服で調整するしかない。体感の違いだけでなく、喫煙者の有無、味覚、臭覚、音、男女の差、綺麗好きかどうか、真面目度、興味の差など色々。人はきっと誰も加害者であり被害者、多分...。
(4/27)
- 昨日は私の48歳の誕生日…。とりあえず、今日はこのネタをコラムにするしかないだろう。48歳(しあわせ)にかけて「幸せ」につなげて無理やりな話の展開にする。さて、幸せっ幸せって言うけれど幸せの基準とは何?お金や社会的地位だとかそうではないとか色々言われているけど…。幸せの基準とは自分で決める事であり、その基準を低くして面積を広げる事が大切だという話や、21世紀の「幸せの基準」は、スケジュールを自分で決める特権を持っているかどうかにあるとか…。お金だったり時間だったり、それ以外の何であれ自分で幸せの基準を決める事なのだろう。精神的なものとしてはこれで良いとして、私が特に興味を持ったのは、科学的なものであるセロトニン、ドーパミン、オキシトシンという「3つの幸せホルモン」についてである。どれも幸せを感じる為に必要なホルモンであり、それぞれに対して異なる効果や効能だったり増やす方法があるらしい。自己チェックしてみると自分に足りてないものが何なのかわかる。人は科学的に幸せを求めるべきかも…。 (4/24)
- このコラムを書く時間が勿体無い!何故ならば、日本初のサービスであるテレビアをわかりやすくご興味いただく為のリーフレットを作成の〆切りが数日先に迫っている。A4フルカラー両面広告というたったそれだけを作成したらよいのだが限られた枠の中で最大限に表現したいという思いで苦戦している。必ず「テレビアの魅力が認知されて売れるリーフレット」をつくる。看板、リーフレット、名刺などに至るまで、そういうを気持ちを込めて作成するのは当たり前だが...。ここは手を抜けない!特に、弊社のテレビア担当社員が積極的なので私の熱量も上がってきている。問題はこの後で営業活動が厳しくなる事をよく知っている私としては少しでも良い武器を持たせたいと思うのだ!桃太郎でいうキビ団子を渡すお爺さんとお婆さんの気持ち...。モチベーションなんてあっという間に下がってしまうもので、それを維持するのも大変!多くの人が挫折する世界である。好転するかどうかは紙一重であるから気を散らしたくない。今日も何とかコラムを書き終えたので、これから晩御飯を食べてからリーフレットづくりにとりかかる。 (4/20)
- 振り返ること35年近く前、中学生の私は陸上部で中長距離走の選手だった。このコラムでも何度か書いた記憶がある。数日前に本棚を見ていたら、その時に書いていたノートが見つかった。保存がとてもよくて綺麗なまま残っていたそのノートには陸上部での練習の記録が毎日かかさずに記されていた。タイム、天気、良かった事悪かった事…。中には悪かった事として、1000mを3本走っただけなのに、5本走ったとウソを報告した事を反省していたり…。そのノート1ページ目には「努力は人間に与えられた最大の力です」「苦しみの中からだんだん見えてくるもの試行錯誤の中から生まれてくるものそれが真実だ!」「根性」などといった文字がマジックで大きく書かれていた。しかし、それを続けたのはたったの2年だった...。それから時が過ぎ、保険会社に入社して営業する際にも同じような事をやっていてカタチは変わったものの今でも続けている。最近、私は新入社員には公開型の研修ノートの記載を強制している。それをやり続ける事の意味をよく知っているからである。4/6、4/10のコラムをご覧の通り、どうしても書きたくない時もある。それでも続けていくのだ! (4/17)
- 最近になって私が弱者だった事に気付いた...。大人、男性、経営者というと一見強者に見えるが、年々何かと不利になってきている。子供、女性、労働者を守る為の法律やルール等が拡充されていく中、その歪が出ている。昔が異常だったと言えばそうなのかもしれないので、決して、今が悪い訳ではなく改善したのかもしれない。しかし、問題点がいくつかある。その一つとしてあげるとしたら、弱者と思われている人々の中に、それを悪用するものがいる事だ!例えば、痴漢冤罪、理不尽なクレーマー、ハラハラ...。そして、もうひとつあげるとしたら、怠惰で無責任な人が増える事によって前向きに頑張っていこうという人や責任感のある人の熱を奪ってしまった事。弱者の仮面を被った悪意を持った強者が、真の弱者を潰しにかかる。ゆとり教育は失敗に終わり多くの被害者が...。次は働き方改革...。怠惰で無責任で依存的な人ではなく、本当に守らなければならない人は他にいる。(一概には言えないが)誰かを守る為に誰かを犠牲してるって知ってた?その犠牲になる事が多い私は弱者! (4/13)
- たった今、福岡出張から戻り、本社でこのコラムを書いている。もうすぐ日付が変わる。いつもなら2時間の高速バスでの移動時間に、おおよそ書けるのに...。私は今、約束の週2回のコラムを書き上げる事に焦りを感じながら、PCのキーボードをたたいている。早く家に帰りたい!しかし、私はこのコラムを続ける約束をしたので何としても書き上げなければならない。既に深夜1時を過ぎたところ...。今日の私が苦戦している状況をわかってもらえるだろう。いつもの半分だけでは打目だろうか?今、そんなズルを考え始めた。いかんいかん!今日のテーマは無理やりにCONTINUE(続けていく事)にしよう。決して、続けていく事を美しく書きすぎないようにしなければならない。一見このコラムを続けている私はよくがんばっている様に見られやすいが、続ける事が良いか悪いかなんてわからない。書きたくないコラムを嫌々ながら書くくらいなら書かない方がよいとも言える。皆さんにも、こんな心の格闘の中で、今でも続けている事があるのではないだろうか?今日も何とか書き上げた!もうすぐ2時になる。帰ろう。 (4/10)
- ずーっと続けてきたコラムではあるがもう書けない!益々ボーっとして頭が働かなくなっている時間が増えてきている今、覚醒している希少な時間をこのコラムを書く時間に充てるのは勿体無い。書く内容がネガティブなものになり、それを見てくれた方からの評判が悪くなるのであれば、この時間をプラスになる何かにまわせるのではないか?言論の自由とは言っても本当に書きたい事を直球で書けなくて伝わり方がぼやけてしまい誤解されやすい。「だから、もう書かなくても良い?」と人に聞くならば「無理して書く必要はない」とやめてしまう様に回答されるのではないかと思う。知人友人家族などにその様に言っていただくと安心して書かなくなる。コラムに関わらずおおよそこんなものだろう。「やめる勇気!」なんて言う言葉を付け足すとしたら、このまま続けていく事が不正解の様に見えてくる。こうして、やめる事を正当化していく流れになっていく。子供の頃は長続きしない私だったが大人になってからは、仕事、コラム、フィットネスジム等どれも石の上に3年どころか10年20年30年という様に長続きしている事が多い。そして今、こんな私が投げ出しそうになっている。 (4/6)
- 私は今月で48歳の誕生日を迎える。私はこれまでずーっと先々の資金を心配して今という瞬間を楽しめずに生きてきた。仕事が嫌いという訳ではないが、その仕事が不安を消す為のものであったのも事実だ。気づけばあっという間にこんな年齢になった今、将来の夢を「若くなる事」と語る私がいる。見た目は少々なんとかなったとしても、実際の年齢には抵抗出来ない叶わぬ夢。それどころか益々その夢からは遠ざかっていく現実に耐えられない。私は人一倍若さに未練があって、10歳20歳若い人と同等レベルの欲求を持っていて、それが満たされていないのかもしれない。年齢や立場とか責任によって欲求をおさえる為に気をそらして生きていかなければならないのだろうか?私が本当に求めている事を諦める為に、それ程でもない欲求を満たす事で誤魔化している。「歳相応」という言葉でファッションや行動や考え方まで縛り付けていく事こそ、本当の意味で老いていく原因になっているのでないか?そして、生物学的にも使わない機能は退化していく。人に合わせて歳をとる必要がなく、自分らしく歳をとってよいのではないか? (4/3)
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