社長のコラム(2019年3月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 今日はバラの花に詳しい方のお話を聞く機会があった。バラにはゾウムシというゾウにソックリな害虫が発生するなど駆除その他で、育てるのは大変らしい。私には育てきれないとは思っているが、バラにも色々な種類があり、それによっては比較的育てやすいものもあるとの事だった。バラの種類は豊富で色々なカテゴリー分類がされているらしい。トゲがないバラだってあるらしい。同じトゲがあるならサボテンも同じではあるけれど、育てにくいバラとは対称にサボテンは育てやすい。しかし、私の勝手なイメージなのかもしれないがサボテンよりバラの方がカッコ良い様な!例えば、バラの色や本数によって花言葉の意味があり、クールにカッコよく花言葉に頼って気持ちを伝える事が出来る。サボテンにも燃える心、偉大、暖かい心、枯れない愛という様な意味合いの花言葉があるらしいけれど、もらった側にピンときてもらえるのか不安を残す。バラとサボテンの話を通じて何か大切な事を表現しようとも思ったが、今日のところは長くなりそうなのでこの辺にしておく!
(3/30)
- ワンマン社長を好む人はあまりいないだろうし、その問題点についても理解しているが、ワンマン社長でなければならない時がある事も知っている。特に会社が一定の成功レベルに達し右腕を育て任せる事が出来るまでの間、ワンマン社長がいなければ会社は脱線して成長どころで無くなる。そういう私にもワンマン社長という選択肢しか残っていなかった。「社長の指示にYESマンであれ!」「社長優先」なんて言う嫌な奴になって嫌われたくないが...。社員が理解するまで待っていたらタイミングを逃す事になる。社長が社運をかけて責任をもってやっている事なので迷わず信じてついてきて欲しいのだ!社員が理解できずに迷っていたり軽視している間に二度と訪れないチャンスを逃す悔しい経験が私の心を鬼に変えた。ホカニナイ株式会社らしさとクオリティーを落とさずに成長しなければならない。当然、会社が存続していかなければ何も残らない。まずは、当社をよく理解してマネジメントが出来る社員を育成する事が、当社のこれからの運命を左右するに間違いない。結果的にこれで私はワンマン社長を卒業出来るはず。 (3/27)
- スペンサー・ジョンソンの著書であるベストセラー「チーズはどこへ消えた?」のその後の物語として「迷路の外には何がある?」が20年近くも経過した今、発売された。スペンサー・ジョンソンは2017年に亡くなっているので、遺作という事になるが...。私は会社経営のヒントを見つけようと定期的に本屋さんに行く。3/21の春分の日にもちょっとだけ本屋さんに立ち寄ったところこの本を見つけた。最近は本を購入するも読破した事がない程、読書しなくなっていた中、久々、読んでしまった。小さくて薄い本で読みやすいのでそんなに偉そうに言う話ではないのだけれど...。迷路から抜け出すためには、私の信念が何なのかを知る事。そして、事実は私の信念による物の見方にすぎないときもある事を知り、勇気を持って、役に立たない古い信念は捨て去り、迷路の外(ありそうにない事や不可能な事)にも目を向けてみて新しい信念を得たなら、きっと、自分が考えるよりずっと多くのことをおこない経験し楽しむことができる。あるかどうかわからなくてもあると信じなければならないときもあると、私に伝えてくれた物語だった。 (3/23)
- 昼休みに教室で暴れまくっている男子学生を見ながら、先生は注意する事なく見ていた。散らかった教室を掃除するのは女子学生であり、当然、女子学生は先生に改善を要求したが、先生は軽く伝えただけだったので改善は見られなかった。先生の本音は、このくらい言わなくても良いのではないか、それに、面倒だし男子学生から嫌われたくないし言いたくないと思っている。それを見て女子学生が掃除しなくなり、男子学生同様に暴れまくった。結果的に掃除は先生がするしかなくなった今、先生は暴れている女子学生に注意した。一時停止をきちんと止まらなかった自動車がいた。当然、警察はそれを見逃さなかった。丁度、その横を明らかな違法改造車がハイスピードで横切った。警察は見ているだけで何も言わない。これこそつかまえて欲しいと言うが更に酷く追求されて、その違法改造車に関しては見逃していた。これらは、私が作ったフィクションではあるが、もしも、こんな目にあったら悔しい。私は今、「もしも」と書いたが、意外とこの様に強いものや長いものに巻かれる相手からこんな目にあった事がある人って多いのでは? (3/20)
- ハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)...。そう呼ばれる敏感な人は社会の2割程度と言われている。これは病気という訳ではなく、反対に高性能とも言える。敏感な人が全てHSPなのかわからないので、ここでは、敏感な人、鈍感な人という区別とする。さて、どちらが幸せなのだろうか?まずは、敏感な人にとっては、気になってしまう訳だから気疲れするだろう。そういう意味では鈍感な人の方が幸せなのかもしれない。それでは、敏感な人、鈍感な人のどちらが人を幸せにするのだろうか?これは難易度が高い質問だ!気にしない様に気付かない様に生きていこうとしている人にとっては敏感な人の存在はストレスだろう。そして、敏感な人は私自身の言動に対しても敏感な訳であり、また、あえて鈍感でいようとしているのに気付かされる事でダメージを受ける事もある。しかし、経営者である私にとっては、自分よりも先に気付き言ってくれるとホッとする。より良いサービスを提供する為にも、ミスを失くす為にも、違和感に気付くセンサーの役目を果たしてくれる人が私には必要なのだ!何よりも私が気付かなかったらどうなったのかを考えると怖い! (3/16)
- 日曜日に最終回を迎えた菅田将暉さん主演のテレビドラマ3年A組。毎週楽しみにしていたのでこれから寂しくなる。メッセージ性が強く、次の展開が読めないストーリーであり、最後まで期待を裏切られる事なく感動的な最終回を迎えた。一言で済ませるとしたら、(SNSなどで)真相をしらないにも関わらず無責任にも言葉のナイフで人を傷つけないで欲しいという祈り。回りくどい事をせずに最初からそういえば良いのにと思う人もいるだろうがそうではない。単に説明をされても人は一見理解した様に見えるだけで心には響いていないものだ。10話まで、一貫してその様にメッセージを送ったとしても効果は低い。私は伝えたという記録にとどまらずに、本当に人の心を動かす事を目的とした自己犠牲を伴う勇気ある行動だったと思う。きっと、ドラマの中の国民のほとんどがこの事件とそのメッセージを知る事になっただろうし…。もし続編があるとしたら、一端は、この最終回で完結したと思われる内容とは正反対とも言える様な展開となり、続編の最終回で、今回のストーリーを肯定する様の辻褄を合わせてくるだろうと想像する。心や脳まで言葉を届ける事は容易ではない今...。 (3/13)
- 本日3月9日はサンキューという事で、感謝の日、ありがとうを届ける日。私は商売をしている事もあり「ありがとうございます」と言う機会が多い。最近では、あざっす、あざす、アザッス、アザーッス、アザス、あざーっすという様な親しみを込めた挨拶をされている事も!私は、大切なのは感謝の気持ちがこもってるかどうかなので、言い回しについては二の次だと思っている。賛否両論あるようで、間違いなく言えるのは使い分けが必要だという事。大切さに順位をつけるとしたら、心→頭→態度→言葉という事になるだろうか?コミニュケーションという意味では、相手に伝えるべきなので、態度や言葉が大切だという事になる。しかし、心や頭での気持ちがなくてもルーティンとして、言葉を発する様になっているとしたら、私はそれを良いとは思えない。店員さんが発する「ありがとうございます」の言葉が録音したものを流している様にしか聞こえなくなることもある。私自身も心と頭の状態次第では、生返事の様なありがとうになってしまっている時があるので気をつけなければ! (3/9)
- 私は必要のない人間だ!この会社は不要だ!そう言ってみる。そして、その理由を誰よりも多く深く言ってみる。今度は正反対に私は必要な人間だ!この会社は必要だ!そう言ってみる。そして、その理由を誰よりも多く深く言ってみる。これは私が何かを考える時に用いる手法であり、反対意見を持つ人の考え方を理解して応酬が出来る効果がある。例えば、がん保険は必要なのか?というテーマがあるとしたら、この手法の通り徹底的に肯定し否定してみる。当然、私は保険のプロとしてとっくにやっている。無駄節約論者は、思考に偏りがあり、反対側からの側面が見えていないだけである事が多い。そういう人には、無理にでも必要贅沢論者という視点で些細な事でも声に出してみると、バランスがとれてくる。練習するとして、身の周りにある物を商品に見立てて実演販売のような口調で話してみると良い。その時にいかにこの商品の隠れた持ち味を顕在化させようと意識する。また、顕在化する事によって類似商品の問題点までも顕在化させる。ちなみに、今日のこの話はすごく伝わる人と、全く伝わらない人に分類されるだろう。 (3/6)
- 織田信長は「本能寺の変」で明智光秀に裏切られて47歳11ヶ月29日で亡くなった。丁度、来月4月23日で48歳の誕生日の私。たったの47歳で亡くなったのは無念だったろうとか、たったの47歳までにこれだけの功績を残しているなんてとかと私自身と比較しながら色々と思わせられる。同級生が半分くらい亡くなっていると考えるとゾッとする。当時、決して織田信長だけが早死にしているのではなく歴史に残る武将の寿命としては平均的であり、参考までにあの坂本龍馬はたったの31歳で亡くなっている。織田信長が「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と舞い唄っていた事からも、人生を短いものだと知り、覚悟して決断をして来た事が想像出来る。私が20歳台の時、根拠はないけれど、30歳までしか生きられないと思っていたので、そう思う事で覚悟が決まる事は少しわかる気がする。長い人生だと考えるとついつい先延ばししてしまいダラダラと毎日を過ごしてしまうけれど、最近の私のテーマである責任感という点では、長生きの時代の方が重くなるはず。残りの我が人生への責任があるから...。 (3/2)
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