社長のコラム(2024年12月)

2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 前回の続き...。カタチだけのぎこちない人と人や会社と人の関係性を生み出しているのは、無責任が原因である。”無責任者の増殖”…。誰も責任をとりたくないのは当然で、しばらく前の時代までは、多くの人は相手への本当の思いやりを持って接していた。今は見せかけだけのエセ思いやり。下手に関わりたくない。あげ足を取られたくない。以前は絶妙なバランスを保っていたのだが、それを崩したのは行き過ぎたコンプライアンスである。特に立場が異なる場合の関係性はガチガチなルールで身動きとれず言葉を発することが怖い。相手へ手をさしのべることすらも考え過ぎてその一歩が踏み出せない。ついでに言うなら少子化の原因にもなっているし、善人が悪人に陥れられやすい環境が整っているし、闇バイトも海外への人材流出もそうだし、日本を貧乏にしている原因でもある。不平等条約とも言える誰かに忖度したルールづくりが蔓延っている。皆さんには本当の味方と敵が何なのかを見極めて欲しい。あなたに優しいそれが意外にもあなたの本当の敵である。それとは、人、考え方などなど...。私の目もあなたの目も節穴なのかも。(12/30)
- 私が大切にしている当社を可愛がってくれる人を増やしたい。そして、もっと可愛がって欲しい。顧客も社員もどちらにしても同じように当社を可愛がってくれる人を増やす。残念ながら、近年、働き方改革などにかこつけて、日本人全体に愛社精神が消え去っている。仕事より家庭という人が増えている。そういう傾向の基本ベースにあるのは、単に辛い事から逃げて楽しかしないこと、平和ボケである。国を動かすような権力者としては、悪の矛先を企業側に向けて目を逸らしている様にも感じる。その結果、労働者は企業と距離をとる。良好な労使の関係もよそよそしくなる。顧客や社員との関係性がぎこちなくリスクヘッジばかりする事になる。発言のひとつひとつがあげ足を取られそうに感じる。誰かから私を守ってくれるのではなく、私から誰かを守るというコンプライアンスの方が圧倒的に多い。こんな弱者である私に対して、どう接してくれるのか?私はそういう目線でその人の人格を見ている。特に、自分(家族)の都合のよいことばかりを考えて、他人に目を向けることができない人に私は関わらない。きっと、そのうちにそういう人から人は離れていく。次回へ続く。(12/28)
- 前回のコラムの続きを話す。頑張っている人の影響で周囲を元気づけたとしたらそれも効果であるし、逆に、頑張っている人をバカにする人もいるのでその場合は無駄になる。無駄な頑張りだと思ったことが無駄じゃないって何?それは、当たり前だけど間接的なプラスとマイナスの効果があるからである。直接的には効果がない様に感じるが、裏側の目に見えない効果があるものだ。あの時、無駄だと思っていた事が大切な事だと分かったなんてあなたにもあるのでは?企業であれば社長だったり支店長が一定期間で交代する場合、在任中に効果を出すためにエネルギーを使う事になりやすく、中長期的にはプラス効果が無かったり、場合によってはマイナス効果を出すこともある。また、経費節減にばかり目を向けて考えていると、勿体無い病にかかり、後に大変なことになる。ハラスメント扱いしすぎたり、抑制するルールをつくりすぎたりなどによって、副作用では済まされない悪い効果が現れている。今の日本人には「頑張るな」ではなく「頑張れ」が足りていない。コスパもタイパも大切だし、辛い事を避けて楽しい事ばかりやったら良いという考えも見方次第では間違ってはいない。人生の無駄遣いをしないという面ではその通り。しかし…。(12/26)
- 頑張れって言ったり、頑張るなって言ったり、どっちなんだい。多くの人は楽な方に流れるものなので、頑張れの方が多くなりがちであるが、相手だったり時と場合によっては、頑張るなって言うべきこともある。最低目標を伝えるのが一般的だが、最高目標を伝えることはほぼないが、時にはそれもよいだろう。昨今は「頑張れ」が激減し怠惰な人々が増加していて、この延長線を想像するだけでも怖い。既にその結果が現れてきている。「私は頑張っている」って思っている人は、そもそも「頑張る」をわかってないのではないか?もしくは「頑張る」という機能が装着されてないのではないか?キャパが小さいのではないか?そう思う。そして、頑張ったところで空回りしたら成果につながらない訳で、効果的にエネルギーを伝達する必要がある。効果的に頑張らないと意味合いは半減する。人と人の関係においても同様に、どんな良い話をしても、相手がその話をボーっと聞いていたら無駄になる。”頑張る×〇〇=効果”という様に〇〇部分が0だったら効果は0。更に複雑化すると無駄だと思ったことが無駄じゃないって事もある。この続きは次回へ。(12/18)
- この時期になるとテレビではモノマネ番組が増える。そっくりレベルを求めるもの良いが、私は、特徴を極端に面白おかしく表現したモノマネが好き。例えば、モノマネ芸人”コロッケ”のネタで五木ひろしをロボット化した「五木ロボットひろし」は衝撃的だった。単に真似るのではなく掛け合わせるアレンジ力。お茶の間の皆さんを笑顔にする大きな目的は十分果たしているだろう。広い意味ではモノマネと言えるのがウケウリ。他人から得た知識を、自分の知識のように話す。私も皆さんも多かれ少なかれそうだろう。それは良いのか悪いのか?話す言葉も内容もトーンもある程度真似してみる事によって効率を上げる点では良いし、自分の頭を使って考えなくなると洗脳されて自分を見失うという点では悪い。ウケウリの割合は一定量あっても良いけど、ちゃんと、自分の言葉で話して欲しい。多くを考えず、ネット検索したり、生成AIの答えをウケウリする人から得た知識は、また、誰かに伝えられ、やがてそれが正確とされていく。私は同業他社の保険設計だったり、顧客が友人知人から聞いた保険の話を通じて、怖さを感じる。(12/12)
- 当社のスタッフ間のコミュニケーションは2020年からビジネスチャットを通じて「話す・聞く」から「書く・見る」へと移行し、4年以上が経過した。それ以前もある程度「書く・見る」でのやりとりしていましたが、この変化によって得られたものと失われたものがある。もちろん、「話す・聞く」から「書く・見る」に変わることに対して抵抗を感じる人の方が多く、慣れる前に挫折する人が多い。右利きの人が左手を使う様な苦しみ。慣れるとこれまでの「話す・聞く」が非効率である事を実感する。そういう事に気付き先を進んでいる企業はこの方法を実践しているが、まだまだ多くの企業でには浸透していない。今後はほとんどの企業がこの移行を余儀なくされることは明らかである。適応できない企業は淘汰され、適応できない人々は職を失うことになるだろう。AIの進展により、49%の人がAIに仕事を奪われる可能性がある。私は当社で働く人たちに今のうちにこの新しいスタイルに慣れてもらいたいと考えている。これまでのやり方を変える訳なので大変だが耐えた先には光が見えてくる。逆戻りせずに前に進もう。(12/6)
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- 私が大切にしている当社を可愛がってくれる人を増やしたい。そして、もっと可愛がって欲しい。顧客も社員もどちらにしても同じように当社を可愛がってくれる人を増やす。残念ながら、近年、働き方改革などにかこつけて、日本人全体に愛社精神が消え去っている。仕事より家庭という人が増えている。そういう傾向の基本ベースにあるのは、単に辛い事から逃げて楽しかしないこと、平和ボケである。国を動かすような権力者としては、悪の矛先を企業側に向けて目を逸らしている様にも感じる。その結果、労働者は企業と距離をとる。良好な労使の関係もよそよそしくなる。顧客や社員との関係性がぎこちなくリスクヘッジばかりする事になる。発言のひとつひとつがあげ足を取られそうに感じる。誰かから私を守ってくれるのではなく、私から誰かを守るというコンプライアンスの方が圧倒的に多い。こんな弱者である私に対して、どう接してくれるのか?私はそういう目線でその人の人格を見ている。特に、自分(家族)の都合のよいことばかりを考えて、他人に目を向けることができない人に私は関わらない。きっと、そのうちにそういう人から人は離れていく。次回へ続く。(12/28)
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