社長のコラム(2025年12月)
2006年から、雨の日も、風の日も、ずっと、書き続けています。
- 年末の大掃除とまでは言わないが、いつもより多めに掃除した結果、私は金持ちではなく、物持ちであることがわかった。しかも、何年も使ったことがないガラクタがほとんどである。さて、私の掃除法はとにかくゴミ袋一袋分のゴミを見つけて捨てることから始まる。断捨離についてはこれまで何度かコラムに掲載したことがある通り、「捨てること」がいかに大切であるかを実感している。掃除をすることによって好転するメカニズムがある。その1は大切な物が見つかる可能性が高いこと。ついでにウッカリ忘れてことを思い出してセーフってこともある。その2は片付くと余計なものが目に入らずストレスが減り思考の妨げがなくなる。その3は物を捨てることによって捨てる脳に変えて、その勢いでPCなどのデータを捨て、最も難易度の高い頭や心の中のものを捨てるというホップステップジャンプ方式。そのおかげで整理整頓されたり余裕が出来たりして、新たな考えが浮かんだり考えがまとまったりする。その4は清潔になって病気になる可能性が減る。その5はなんだかわからないけど商売繁盛になる。その5だけは論理づけることが出来ないが、特に集客力が増す傾向は実証済みである。私にとっての掃除の目的は掃除することだけでなく運気を上げる儀式の様なものだ。また、論理づけることが出来ない事はいずれ私の成長によって論理づけることが出来るかもしれない楽しみでもある。そういう意味では断捨離する物がなくなってしまうとその儀式が出来ないので、捨てるゴミが重要である。私にはまだまだ捨てることが出来るガラクタがたくさんあるので安心である。ゴミも必要悪ってところかもしれない。掃除に限らず、何らかの目的を果たす為に、その目的を少し横に置いて、他に目的をつくったりゲーム化したりなど工夫する戦術は私流。(12/30)
- 今日が2025年最後のコラムになるか?もう一回くらい書けるのか?それ次第では、今回は年末らしいコラムが良いのかなんて思いながらぼーっとカレンダーを眺めていた。数日前までは世間はクリスマス一色だったのに、そこから正月までのたったの1週間で街はクリスマスからお正月の装飾へ一気に変化する。徐々に、仕事納めをしている企業や人が増えて、企業やショップの扉には正月休業期間中の貼り紙が増えてきて、何かと不便な時期になってきた。この時期になると、私は毎年、年内にやり残した事がないかとか新年を気持ちよく迎えたいという気持ちでデスク周りを片付けたり等して縁起を担ごうとしたくなる。今年もそろそろ片付け始める予定。ここ数年間の年末年始には、最悪とまでは言わないまでも気分が下がることが多かったけど今年は今のところはなんとかセーフ。このまま逃げ切りたい。そして、新年スタートからノリノリ、ワクワクで気分上昇な一年を過ごせたら嬉しい。何らかの良いことがある等の条件がないと気分上々にはなれないので、単純には、とても良いことが沢山あることに越したことはない。今に満足せずにより良いことを求めていく欲深さも自分を高めていく為に大切ではある反面、些細なことでは喜べない麻痺を起こしたり、良いことがあっても悲観的な気持ちにしかなれない側面もある。表裏一体ではある関係性ではあるけれど、更に欲張りで、些細なことにも喜べた上に、大きな喜びも欲しい。逆に、気分が下がる悪いこともあって、心が耐えらないかもしれない。ここでは忍耐力、精神力によって左右する。特に、不屈の精神を持っている人は強い。私は時々、普通だったら心が耐えらない不幸なことがあっても「明るく振る舞っている人」「相手への思いやりを忘れない人」と出会う。私はそういう人を尊敬する。不安が強く常にビビって過ごしている私は、彼らの爪の垢を煎じて飲んで、気の持ち方を変えた方が良さそうだ。人生山あり谷あり、3歩進んで2歩下がる等というが、登れるうちに登り、進めるうちに進んでおき、高みを目指し、些細なことでも喜び、下がった時も後退した時には、不屈の精神を持ち、逆転を目指す。きっとそれが幸せってものだろう。(12/28)
- 「継続は力なり」とは、どれほど小さなことでも努力し続ければ、やがてよい結果や成果につながることを意味することわざである。私が、このことわざ通りに、実行してみた過去35年間を振り返って感じていることを本日のコラムに記載する。私自身が三日坊主から脱却し、何事も長続きできる様になったことは、これまでに何度か私のコラム内で肯定的に伝えてきたが、今日は一旦、否定的、悲観的に伝えることにする。一言で言うなら、何かを得るために何かを捨て失ってきた事を実感していることである。新しいことへの挑戦の機会損失をしてきたことや、特化した能力が高まる代わりに退化した能力があることをはじめ、他にも色々ある。もしも、私の特化した経験や能力が、何らかの要因で不要とされて役立たなくなったことを想像すると背筋がゾッとする様な不安に陥ることもある。私は、新規事業で3本の柱をつくり、私個人としても当社としても、ひとつの柱が折れても倒れない仕組みをつくろうとしたが、現時点では失敗に終わっている。「およげ!たいやきくん」の様に海へ飛び込んで自由に泳ぎ回ってみたものの「やっぱりぼくはたいやきさ」という事で食べられてしまうという具合に、結局、私は元に戻ってしまう逃れられない宿命。ひとつに特化すべきか多種に広げて分散すべきか?「選択と集中VS分散」というテーマは未解決ではあるが、少なくとも、私と当社の柱は「保険と投資を中心とした金融業」なのだろう。私がユーザー視点にたった場合、その道の真のプロという頼りになる人や企業を求めていて、中途半端な人や企業の存在が、本当に出会うべき人や企業との出会いの邪魔をしていると感じることがある。既に、私から見る同業他社の多くが中途半端である。ここでハッキリすることは、個人や企業が、もっともっとその道の真のプロ(職人)になる方が、世の為人の為になるという事である。そうであるはずなのに逆行している政策や人や企業の動きを感じて不満足である。話は大きくなるが、今、日本がやるべきことは、スペシャリストの育成である。特に世界トップクラスの達人育成。少子化問題を積極的に行うべきタイミングは20〜30年前であり、今更、手遅れで非効率なので、教育、学歴を一新して、義務教育制度を廃止するという極論も含めて議論して、結果的に一般教養ではなく専門分野への移行はすべきである。スペシャリスト個人としては、特化した能力が形成される反面、他が著しく無能になる事による不安とリスクがあるものの、国、社会全体としては都合が良い。(12/24)
- 私は1993年(21歳)に保険会社へ入社して損害保険の取り扱いをスタートしたものの、人脈がないこともあり、損害保険の営業手法としては珍しくブルーオーシャンだった公営団地の火災保険を中心に飛び込み訪問営業をして、必死に食い下がっていく内に単価は小さいが契約者数だけは多くなった。当時はどちらかというと良い評価はされてはなかった。それから数年後の1996年(25歳)に(生損保相互乗り入れの際に)嫌々ながら取り扱いはじめた生命保険ぼ営業が意外にも面白く感じてハマってしまい高い営業成績で何度も表彰された。その頃には損害保険での契約者が増えて行き場所があったし私の知識や経験や信用が増えてきたこともあって火災保険や傷害保険に限らず自動車保険や生命保険の営業成績も好調で益々仕事が楽しめた。もっと仕事にお金をかけて勉強をして、もっと上を目指そうという気持ちから、朝早く起きて毎日、保険とその関連知識を習得した。その中で、インフレリスクについて、学び深めていく内に、これまでやってきた生命保険の商品では不十分であることに気付くなどし、その対策のひとつとして、2000年(29歳)になるちょっと前に、私は投資信託に興味を持ち、多くの保険募集人と比較すると圧倒的に変額保険を提案した。7年半ほど保険会社で勤務した後、2000年(29歳)に独立して当社を設立した理由のひとつでもある。その後、2004年4月に日本ではじめて設立された金融商品仲介業(当時:証券仲介業)を至急証券外務員の資格を取得し3ヶ月程の遅れで当社は株式や債券や投資信託などの取り扱いをスタートした。しかし、皆さんご存知の通り失われた30年と呼ばれている期間の真っ只中で、インフレどころかデフレであり、リーマンショックなどもあって、株式投資信託を購入した人のほとんどは暴落するなど、私自身も疲れ果てた。その後、アベノミクスなどによって株価が上昇するなどして、現時点では結果オーライとなって少しホッとしているが、これから先も専門家にとっても想定外という様なダメージがあるかもしれないと注視している。私自身の過去の栄光や努力、逆に失敗などの経験などが複雑に絡み合った中で感じたことなどが、良くも悪くも今の私を構成している。こんな私だから気付いていることを取り入れた保険や投資の相談をしている。相談の品質は石の上にも3年ではなく30年でも足りない経験が必要だ。(12/21)
- 12月1日に発表された2025年の流行語大賞が「働いて働いて働いて働いて働いてまいります/女性首相」であってくれて嬉しい。10月6日の私のコラムでもこの発言について「その言葉にちょっとだけ安心した」「勤労意欲をもっともっと高めていくことが日本再生には不可欠であることは間違いない」と述べている。私のコラムでの流行語大賞があるとしたら何だろう?勿論「働いて働いて…」も間違いなくノミネートされる。改めて1年間のコラムを読み返してみたが多岐に渡っていて焦点が掴めなかった。そこで、私が愛するAI(GEMINI)に頼ってみた結果、私のコラムで頻繁に言及されていたワードは、「私」「日本 / 国 / 日本人」「当社 / 会社 / 社員」「保険 / 保険相談」「信用 / 信頼」「働く / 労働」らしい。この回答だけではイマイチだったので、「2025年のコラム全体を通じて何を伝えたかったのか?」とAIに追加質問した結果「現状の日本社会・経済の衰退を食い止めるためには、国民一人ひとりが自ら考え、安易な風潮に流されず、真のモラルと責任感を持って、長期的な視点で努力し続けるべきである」という強い危機感と行動への提言だという回答をもらった。もう少し具体的には主に3つの核心的な主張である①堕落を招く日本の現状と政策への批判、② 生き残るための「モラル」と「継続力」の重要性、③ AI・DX化を活かした少数精鋭での挑戦に集約されるらしい。①では国民の勤労意欲の低下と、それを助長する政策を厳しく批判していて、群集心理、働き方改革、ハラスメント、流動資産税などのワードが目立つ、②では、会社経営と人生において、短絡的な利益や楽な道を選ぶことを否定し、モラルと継続こそが真の資産であると説いていて、信用、第2領域、継続、奪う、与える等のワードが目立つ、③では、AIやデジタル技術の進化を悲観するのではなく、これを積極的に活用し、自身の会社を「質の高い少数精鋭」によるゲームチェンジャーにすることを目指していることが記されていて、AI、DX、生産性、ブレないなどのワードが目立つ。ここまでを通じても流行語大賞を決める事が出来なかったので、「流行語大賞は何か?」と質問した結果、「流動資産税」「群集心理の罠」「ゲームチェンジャー」がノミネートされて、その中でも、働いてお金を稼いだり使ったりする人を応援して、逆に不労所得やストックしている資産に対する税率を上げるべきだという「流動資産税」を一押ししてた。ノミネート理由は、日本の経済構造、不公平な税制、そして国民の勤労意欲の低下を解決するための具体的な財源案・政策として、複数の記事(3月、6月、7月、11月)で繰り返し強く提唱している言葉であり、その主張の根幹をなしているかららしい。そう言われたらその様な気がしてきたので、2025年の流行語大賞を「流動資産税」とする。AI(GEMINI)には2025年随分とお世話になり感謝している。(12/17)
- いつからだったか記憶がないけれど、最初は春の花粉が飛ぶ季節だけの花粉症から始まり、今は1年中アレルギー(花粉症)の私。市販薬のアレジオンを季節に関係なく服用して手放せない。このままこの薬に依存してよいのだろうか?日中に眠くなるのはこの薬が原因かもしれない等と思ったりして、先日、私は気軽に漢方薬局に足を運んだ。ちょっとの時間で済むと思っていたら予約制で1時間の相談面談が必要ということだったので1週間後の日程を決めてやっと数日前に相談出来た。まずは、症状などを、お話をして、脈や舌などを見てもらった結果、なんとコーヒーの飲み過ぎが原因とのことだった。「たったこれだけで原因にたどり着くとはお主なかなかの腕を持ってる達人じゃのー」と私の心の声がつぶやき尊敬した。漢方薬と保険という業界業種が違えど、私の保険相談でもその様にお客様から思っていただけていたら嬉しい。最初は漢方薬を処方してもらうために1時間もかかるのかと思ったが、相談後は1時間以上の価値を感じた。私の保険相談はそれどころか2時間でも足りないことが多く、お客様が内心どう思われているのかわからないがご契約いただいたりお客様をご紹介いただいたり喜びの声をいただいたりというなどによって励みになってめげずに続けている。「あっという間の2時間でした」というお声をいただくことは多い。ところで当社は保険代理店の傍らカフェを営んでいることもあり、私は一日平均4〜5杯くらいは飲んでいる。苦渋の選択ではあったがまずは1ヶ月間コーヒーを飲まない決断をし今日で3日間続けている。そういえば、40年以上も前、中学生で陸上部だった私が3年近く炭酸飲料を飲まなかった時を思い出す。この経験から「きっと、私だったら達成できるはず」と自負している。自分と相手を信用することによって決断出来るというのはこういう事だ。(12/12)
- オーケストラに詳しくない私が、もしも、指揮者を無視して演奏するオーケストラがあるとしたらバラバラになって成り立たないだろうと思ってネット検索したら、指揮者不在のオーケストラが実在していた。約30名の小編成の室内オーケストラではあるも、オルフェウス室内管弦楽団、東京アカデミーオーケストラ(TAO)には指揮者がいない。指揮者がいなくても、メンバー全員が高度なプロフェッショナルとしてリーダーシップを発揮し、一体となって音楽を創造するからこそ大丈夫らしい。さすがに100名規模のフルオーケストラでは指揮者不在は難しいとのこと。私は指揮者の重要性を書きたかったのになんとなく説得力なくなってしまった様に感じるが、もうちょっと調べていくと、コンサートマスターというリーダー(第1ヴァイオリン首席奏者)を皆が目で確認しながら、合わせていることがわかった。やはり各自が勝手な演奏をしてオーケストラは存在しないようだ。それであれば、話はつながる。企業に置き換えるとしたら、大規模なケースでは指揮専門が必要で、小規模で目が届きやすい場合は演奏をしながら指揮をする二刀流で対応できるということになる。プロ野球でも選手兼任監督(プレイングマネージャー)は存在していた。野球で言うと捕手(キャッチャー)が適任らしい。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄などの戦国武将も最前線で戦うプレーヤーでありながら、戦略を立てて、組織構築、リーダーシップをとるなどマネージャーでもあるプレイングマネージャーだった。私が知る限り大企業の社長では見かけないが中小零細企業では社長自身がプレイングマネージャーである可能性は高い。私はプレーヤーをせずに経営・マネージャーに特化しようと試みたことがあったが、その間違いに気付き、現在、私はプレイングマネージャーをやっている。今後、その割合は変更するもののきっと最後までプレイングマネージャーを続けているだろう。(12/10)
- 音楽がかかると昔流行ったダンシングフラワーの様に自然と体が反応してしまう私。周囲の目があるし迷惑をかける訳にはいかないので、普段は封印しているが、私の本性はダンシングフラワー。こういうのを何というのかネット検索してみたら「即興ダンス(インプロビゼーション)」と呼ばれている事がわかった。振付(振り付け)を決めずに、音楽やその場の感覚に合わせてその場で自由に身体を動かし、表現するダンスのことで、音楽の「音・リズム・メロディ」を体で感じ取り、自分の内面と向き合いながら、思考ではなく直感で生み出す動きが特徴で、自己発見や表現の幅を広げる効果があるらしい。なんだか良さそうなので、今後、特技の一つに「即興ダンス」と書くことにする。このコラムも実のところ「即興コラム」みたいなもので、最初にテーマがある訳ではなく、軽く思ったことや最近あったことをなんとなく書いている内に結果的にテーマが即興で創られていく。今日の即興コラムのテーマは「即興力」=(準備なしでその場の状況に応じて、瞬時に判断し、柔軟かつ創造的に対応・表現する能力)。こんな私も、想定外の質問をされたり、突然のスピーチなどに対応出来る様に即興力が発揮出来る時と出来ない時があって、その時の自分自身の心身の状態やその場の雰囲気など環境によって左右する。左右されない為には、即興ダンスが自然に音楽と一体感を持ち入り込み馴染む様な感覚になるのと同じ様に、即興力はそれぞれにおいても同様に一体感を持ち入り込み馴染む様な感覚になることだと思う。実際、私は保険相談(プレゼン)業務でもそういう感覚で対応している。(12/6)
- まだ、読んではいないが、アンジェラ・ダックワース著書『やり抜く力 GRIT』には、人生のあらゆる成功は、知能指数や学歴ではなく、困難に直面しても諦めずに目標に向かって情熱と粘り強さを持って努力し続ける能力(グリット)にかかっている事が書かれているらしい。私は電子書籍のアプリで立ち読みし面白そうだったので近日中にこの書籍を購入する予定である。前回のコラムで記載した「三日坊主から継続する人への自己変革」を更に深めて広げる事が出来そうなので楽しみである。さて、この本との出会いは、最近、急激にAIが進化する度に、ワクワクとビクビクの両極端な気持ちになっているのは私だけじゃないはずと思いながら、AIに仕事をとられずに共存出来る人はどんな人だろうかと、ネットで色々と検索したからである。益々、一般的な知識や行動に関わることはAIがやってくれる様になっていくので、AIと被った能力は不要になることが予測できる。これからの時代を生き抜く為にAIと関わる事も大切だが、AIと関わるかどうか以上に、AIには超えられない才能を持つことにエネルギーを注いだ方が賢明であろう。何となく通り一遍が出来たり知識を身につけるよりも、一点集中の才能の持ち主の方が市場価値が高くなっていく。GRITに書かれている能力が年月をかけてその才能を開花させる。三日坊主な人は極めることが出来ず中途半端なのでこれからの時代ではかなり苦戦するだろう。情熱と粘り強さを持って努力し続けよう。(12/3)
- 20歳頃までの私は、数年毎に飽きたり挫折したりして部活やバイトを辞めてしまうし、折角、就職した会社を10ヶ月で退職するなど長続きせず、まさしく三日坊主だったが、20歳代に私は長続きする人へと自己変革した。それ以降21歳からは(29歳で保険会社の社員を辞めて当社を設立したものの)保険業界でおおよそ33年間、当社設立してからも25年間続けている。週休0日勤務も10年以上経った。このコラムも2006年7月から多少の浮き沈みがあるものの継続中で、ほぼ同時期である2006年9月から通うスポーツジム通いは週5回程のペースで、もうすぐ20年経過する。他にもいくつも続けていることがあって、2024年2月からは、毎週1回、1〜2時間程、ギターの弾き語りの練習している。毎週最低1曲テーマを決めて収録している曲数は170曲近くである。まだ、2年までは経っていないが、きっと私だったらこれから何年も続けていくはずと、そういう自分自身を信用している。いずれは人の心に染みる弾き語りを披露出来たらと目標を持ちながらも、弾き語りそのものを楽しんでいる。長続きのコツとしては、最初の目的だけでなく新しく目的を作り出し、それを続けたいと思いたくなる何らかの欲求を絡めていくことが大切である。私はまだまだ未熟で発展途上中ではあるものの、これまで、いくつもの自己変革を行い今日の私を形成している。これもまた自信に繋がっている。自己変革しずらい今の世の中であるからこそ、人は自分自身に厳しくタフになる努力が必要である。(12/1)
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